歴史学者の磯田道史の家系は実に由緒正しいと評判である。
祖先から受け継がれてきた家系を紐解くと、実に興味深い事実が垣間見れる。
何と、日本史の偉人として知られている大石内蔵助と親戚関係にあったという噂がある。
磯田道史の知られざる歴史の一部分を紐解いてみよう。
磯田道史の家系
磯田道史は岡山県出身だが、実家は鴨方藩に仕えた重臣の家系なのである。
磯田道史は高校生の頃には、既に図書館の古文書を独自に解読に成功していたツワモノだが、幼少の頃から謎めいた代々伝わる古文書を目にしていた。
だからこそ、歴史に深く興味を持ったに違いないと感じる。
しかし、これだけではなく、磯田道史の親戚にあたるのが、あの大石内蔵助というのだが・・・。
大石内蔵助が親戚であるというが・・・
磯田道史が大石内蔵助の親戚にあたるという噂がある。
大石内蔵助の母親は備前国岡山藩(支藩が鴨方藩)家老の池田由成の娘・池田熊子(くまとも言われている)。
岡山藩士である磯田家に嫁いだのが、大石内蔵助の母親であったという噂があるのだが、少々、異なる。
あくまで母親が嫁いだ先は大石家であり、磯田家ではない。
磯田道史はあくまで鴨方藩士の家系であり、大石内蔵助と親戚関係ではないと思われる。
元々、この噂というのは、テレビ番組でアナウンサーの古館伊知郎が、磯田道史が大石内蔵助と遠い親戚であると言ったことが起因しているようだ。
磯田道史が大石内蔵助と親戚であるというネットの反応
某掲示板や、他サイトの情報を取り上げてみる。
・磯田家が江戸時代に鴨方藩池田家(岡山県)に仕えていた
・現在の磯田とは直接関係のないことじゃん。 しかも鴨方藩主は池田家であって磯田の実家ではないし。
・磯田家が仕えた鴨方藩の藩主は池田継政
・大石母方の天城池田家を通じてと仮定すると 、磯田が大石と遠い親戚なら東大の斎藤も親戚で、磯田と斎藤は親戚同士ということになる。
遠い親戚というニュアンスが曖昧すぎるわけで、どこまで遡ればいいのやらという具合だ。
おわりに
磯田道史が大石内蔵助の親戚というのは、歴史を紐解いてみても確証は見当たらない。
そもそも、古館伊知郎がどういう根拠で言ったのかは定かではないにしろ、より詳しく専門的に紐解いていけば繋がりがうっすらとあるのかも知れないが・・・。
だからといって、現在の磯田道史の活躍には何の関係もない。
あくまで鴨方藩に仕えていた藩士の家系であり、子供の時に見た古文書が歴史学者になる一番、最初の大きな切欠だったということだろう。