小林亜也子は映画・スケバン刑事で準主役を演じた元女優である。
現在は人材育成会社の女社長であり、自身もアイドル並みの人気を誇る講師として活躍している。
そんな小林亜也子であるが、何故、女優として華々しいスタートを切りながら、すぐに芸能界を引退してしまったのだろうか?
ここでは小林亜也子がスケバン刑事でデビューを飾ったあとから現在までの経歴を、順番に紐解いていこう。
小林亜也子について
【名前】 小林亜也子(こばやしあやこ)
【本名】 森川あやこ(もりかわあやこ)
【生年月日】 1969年9月17日
【星座】 おとめ座
【年齢】 48歳
【出身地】 兵庫県神戸市
【血液型】 A型
【学歴】 兵庫県立宝塚北高等学校演劇科
【所属】 株式会社Officeアイム
【デビュー】 1987年
小林亜也子がスケバン刑事に出演するまで
小林亜也子は高校生のころに、東映が主催した【映画『スケバン刑事』全国横断オーディション】を受けた。
同オーディションは78,000人の参加者が応募してきた。
オーディションでは早口言葉を披露した小林亜也子は見事、グランプリに輝いて、映画・スケバン刑事の加藤めぐみ(準主役)に起用。
これが芸能界デビューとなり、新人としてはこれ以上ない位のスタートをきった。
その後、並行して行われているテレビシリーズのスケバン刑事への続編に企画されたが、小林亜也子は映画だけの出演にとどまった。
テレビドラマシリーズのスケバン刑事にはⅢの最終回に出演しただけで、芸能界を引退してしまった。
小林亜也子がスケバン刑事のみで何故、芸能界を引退した理由とは?
小林亜也子が通っていた高校はマスコミなどに露出することを禁じられていた。
特別に許可を承諾していたものの、映画・スケバン刑事は売れて人気を博したことにより、ファンになった人間が高校に押し掛ける騒動に発展。
更に一部の人間の嫉妬などにより、悪質な嫌がらせなどを受ける様になったのだという。
別の保護者からの抗議なども学校側は受ける様になり、売れっ子女優になったことへの、周囲のプレッシャーなどに押しつぶされてしまったようだ。
大人気映画に出演した私を待ち構えていたのは、厳しい現実。
嵐のようないたずら電話、待ち伏せ、下宿先に押し寄せる人の山、毎日当たり前のように乗っていた通学電車でもサインを求められたり騒がれたりし、伯母や実家の両親、一般のお客様にも迷惑をかけ辛い思いを味わうことに。
登下校も含め学校ではおとなしく死んだように静かに過ごす日々が続き、当たり前のように過ごせた日常生活の尊さや何気なく毎日を自由に過ごせることのありがたみを17歳にしてひしひしと味わいました。
そんな暮らしがどうしようもなく嫌になり、両親と相談して関西の短期大学を受験、芸能界に進むことはしませんでした。引用:OfficeAIMより
こうして小林亜也子はスケバン刑事のみで、短い女優生活を終わらせることになる。
小林亜也子がスケバン刑事で引退し現在に至るまで
小林亜也子はその後、関西短期大学に進み、普通の女の子として過ごした。
大学卒業後には大手企業に就職したものの、仕事に関心が少なく、休みの日の予定のことばかり考えていたという。
仕事が要領よくこなせなかったこともあり、職場の人間関係を良くすることが出来なかった。
その為に社内でイジメに遭ったりすることもあり、社会人なりたての頃は苦労したという。
25歳になった時に結婚をして、子供を身籠ったために退職し、専業主婦として家庭に入る生活になった。
小林亜也子が主婦から復職に至った道のり
家庭に入ってからは子育てと旦那の面倒、ママ友たちとの人間関係をこなす単調な日々が待っていた。
その結果、自身は愚痴や文句が多くなり、周囲の人間関係も自分と同じようなママ友などが多くなっていき、それをかつての会社の同僚に打ち明けた。
すると、同僚から伝えられたことに、目から鱗が落ちる様な感覚にでもなったのだろう。
「あやちゃんもそろそろ自分のこと、自分のできることを探した方がいいで!時間ができたなら働いたら?」
と言われ頭をハンマーで割られたくらいの衝撃!ショックを受けました。
悔しく、情けなく、そしてまさにその通り!
そこで、娘が幼稚園に通っている時間だけでも何かできることはないかと仕事探しを始めるのです
引用:OfficeAIMより
はじめた仕事はコールセンターの電話オペレーターであり、再び社会復帰して、そこに自分の居場所があることに喜びを感じて一生懸命に仕事をこなしたという。
その結果、2000人の同じオペレーターの中から『解約阻止率トップ賞』、『応対品質顧客満足度トップ賞』という社内の賞をダブル受賞するほどに成長したという。
小林亜也子がパートから起業家になるまで
パートでありながら、小林亜也子は後輩の指導を任されるようになり、人を育てる喜びを知ることになる。
人材育成の道で生きることを決意した小林亜也子は、大手研修会社の企業研修を行う講師に応募し、採用。
しかし、未経験であることも相まって、とても過酷な日々を送ることになった。
講師トレーニングの日は、新幹線で東京から新大阪間をかけて通い、時には車内で涙が溢れることもあったとか。
そんな小林亜也子の仕事に取り組もうとする姿勢に、旦那や従妹などが育児などを手伝ってくれるようになり、徐々に講師としての仕事をこなせるようになっていったという。
企業研修講師として、各地を渡り歩いた後に、小林亜也子が一番、多く研修を担当したクライアントが、組織改編の為に1年間なくなった。
事実上、自身の仕事が無くなり元気をなくしていたが、そこに友人が起業につながるアドバイスをしたのだ。
ショックを受け元気をなくしていた私に友人が
「仕事がないなら自分で仕事を作ってみたら?」
「自分の講座、セミナーを作ってみたらいいのでは?」
とアドバイスしてくれました。
引用:OfficeAIMより
その後、自分自身がそれまでに培ったノウハウなどをまとめて、初セミナーを友人の協力を経て開催。
これが好評につき、東京、名古屋等で一般人に向けてのセミナーを開催させることに成功したという。
だが、あくまでこの時は企業に勤めている講師には変わりなく、その枠の中で働けるには限度を感じた小林亜也子は勤めていた企業の契約期間をまった。
小林亜也子の現在は社長兼アイドル講師
勤めていた会社の契約を満了した後の2008年3月30日に、株式会社Offeceアイムを設立。
2011年から2014年の3年間連続で、8000人がいる講演エージェント最大手の講師の中からベスト10ランキング内に入る。
現在も社長兼、講師として全国を飛び回って活躍し、自身の経験や技術を書いた著書も刊行。
おわりに
スケバン刑事で華々しい芸能界デビューを飾るも、挫折し、新たに飛び出した世界で大活躍をしている小林亜也子の現在までを振り返ってみた。
時折、新聞やテレビなどに取り上げられる小林亜也子は、既にその名前ではなく森川あやことして、多くの人間の育成に取り組んでいる。
今後の活躍も期待し、多くの人材ならぬ、人財を育て上げていって欲しいと感じる。
それこそは正に日本の社会に間違いなく貢献している証明でもあるのだから。