北九州監禁殺人事件は、戦後の日本犯罪史上において最も最悪の凶悪事件と断言出来る。
たった一人の男のドス黒い欲望が解放された為に、一つの一家が全滅し消し去られたからだ。
事実は小説よりも奇なりという諺(ことわざ)があるが、正しくそれに当て嵌まる北九州監禁殺人事件の全てをまとめてみしょうか。
ちなみに事件の犯人である松永太と緒方純子以外の人物名は、全て仮名であることです。
更に、あまりにも残虐な部分は、実際の言葉を変更し、加筆していることもお断りしておきます。
北九州監禁殺人事件とは?
2002年1月30日未明に、北九州市に住む老夫婦・布施さんの元に孫娘の佳代ちゃんが逃げ込んだ。
ここから事件は発覚へと動き出していくのだ。
佳代ちゃんの父親であり布施さんの息子である喜一は、当時、40歳の不動産会社を営む実業家。
それ以前は度々、布施さんはお金の工面を喜一にしており、布施さんの妻も喜一や佳代ちゃんにお金をあげていたという。
布施さんはお金のことで、喜一と1995年に揉めてから会わなくなっていた。
布施さんの妻は佳代ちゃんには度々、会っており、お小遣いをせびられたりしていた。
喜一が仕事がうまくいっていない為に佳代ちゃんもお金がないのだと感じて、布施さん夫妻は佳代ちゃんには出来るだけお金をあげていたという。
そんな佳代ちゃんが怯えた様子で逃げてきてから、数週間が経ち、佳代ちゃんはすっかり元気になった。
アルバイト先も見つけてきて、祖父母との暮らしがはじまるはずであったのだが・・・。
北九州監禁殺人事件の犯人・松永太が姿をみせた
佳代ちゃんは銀行口座を作る為に布施さんの娘であり叔母にあたる和子さんの元に赴いた。
だが和子さんと当時、交際していたのは偽名を使った松永太であった。
和子さんは知らずに松永太の元へ、佳代ちゃんを連れ戻させる為に、動くことになってしまう。
松永太は宮田という偽名を使って、以前から和子さんに喜一の仕事仲間として近寄り、信頼を経て関係を持ち、結婚の約束までしていた仲だった。
和子さんが佳代ちゃんの預金口座を作ってあげたことから、松永太が逃げ込んだ先の布施さん宅を知り、2月14日の夜に佳代ちゃんを連れ戻しにきたという。
松永太は喜一のことをおだてて、下手に出ることで、布施さん夫妻を安心させた。
布施さんも娘の和子さんのフィアンセであると聞き、非常に礼儀正しかったので、素直に宮田(松永太)を信じた。
しかし、宮田(松永太)を見た佳代ちゃんは青ざめていくのを、布施さんは見逃していなかった。
宮田(松永太)は佳代ちゃんは実は非行少女であり、喜一から面倒を見る様に頼まれていると、布施さんたちに嘘をついていたのだ。
その日の夜に宮田(松永太)が事情を話して、布施さんの元から佳代ちゃんを連れ出そうとすると、佳代ちゃんは宮田(松永太)に泣きながら『ごめんなさい。』と繰り返して動こうとしない。
布施さんは、あまりに嫌がる佳代ちゃんを見て、宮田(松永太)に打診した。
『明日、自分が連れて行くから、今日は泊まらせる。』というと、宮田(松永太)は強く断ったという。
理由は喜一に叱られるからということで。
そこで、宮田(松永太)に布施さんは『今日は帰すから、明日、自分が佳代を迎えに行くことでいいですか?』と再度、提案。
宮田(松永太)は同意をして、布施さんに電話番号のメモを渡したという。
佳代ちゃんは布施さんの妻と寝室に入り、荷物をまとめている時に、小さなメモを『あとで読んで。』といい手渡した。
和子さんの車に乗り込む宮田(松永太)と佳代ちゃんを見送ったあとに、布施さんたちはメモをみるとこう書かれていた。
『おじさん(宮田のこと)の話は全部、嘘。 必ず迎えに来て。』
布施さん夫妻は送り出してしまった事を後悔をし、翌日に宮田(松永太)から渡された電話番号の元に連絡をとると、女性の声でそんな話は聞いていないと言われ電話を切られたという。
(この電話口の女は共犯の緒方純子である。)
更に布施さんは後悔をしたが、数日後に佳代ちゃんから電話が来た。
その時の佳代ちゃんは家にいた時と違って、布施さん夫婦を激しい口調で罵倒しだしたのだ。
布施さんの妻は恩知らずと思ったが、布施さんは言わされていると感じて、更に佳代ちゃんに対しての心配を募らせた。
暫く電話がなかったが、3月5日未明に佳代ちゃんから電話があった。
指定された場所に布施さん夫妻が車で向かうと、佳代ちゃんが泣きながら布施さんの車に乗り込んできたという。
布施さん夫妻が何を聞いても、佳代ちゃんはハッキリと答えてくれない。
布施さんは感じるものがあり、こう言った。
『佳代、お父さん(喜一)は〇んでるんだろ?』と。
それを聞いた佳代ちゃんは、急に激しく泣き出して叫んだ。
『お父さんは〇された!!』
布施さんはカマをかけたつもりであったが、佳代ちゃんが号泣してそう言ったことで、すぐに警察署に駆け込んで状況を打ち明けた。
応対した婦警が怯え切った佳代ちゃんを落ち着かせて、詳しく話を聞きだすと、佳代ちゃんは宮田(松永太)に連れ出された後に、酷い仕打ちをされていたのだ。
それは宮田(松永太)にやられたのではなく、自分でそうさせるように仕向けるという方法で。(自虐行為の強要)
佳代ちゃんは自分で自分を傷つける行為を強要されたのだ。
病院に連れていかれ、治療を受けた佳代ちゃんは、警察署で事情聴取の為に泊まり込むことになった。
布施さん夫妻はいったん、自宅に帰るとすぐに宮田(松永太)が現れて、佳代ちゃんの居場所を聞いてきたという。
宮田(松永太)は相変わらず、連れ戻しに来た理由を、喜一に怒られ、佳代ちゃんも喜一に殴られて叱られるからと言った。
布施さんは宮田(松永太)の嘘の説得にシラを切り、退散させたが、後日、森と名乗る女性が布施さんの家にやってきた。
森と名乗る女は緒方純子である。
森(緒方純子)は喜一と宮田に頼まれて、佳代ちゃんの面倒をみている者といった。
その後に宮田(松永太)もやって来て、布施さんたちの家を荒探しする暴挙に出たという。
そこに布施さん夫妻が和子さんを呼んで、何とかその場は帰ってもらった。
しかし、また宮田(松永太)と森(緒方純子)がやってくると思っていた頃に、警察から連絡が入った。
宮田(松永太)と森(緒方純子)に逮捕状が出たことをしらせる連絡で、容疑は佳代ちゃんを連れ去った後に監禁し、虐待をしたということでだ。
3月7日の早朝に複数の刑事が布施さん宅にやってきた。
程なく、森(緒方純子)からの電話が入り、佳代ちゃんと縁をきるのを了承する変わりに、それまで佳代ちゃんを養った費用・500万円を要求してきた。
刑事の指示通りに布施さんはそれを呑んだように言った。
数時間後、宮田(松永太)と森(緒方純子)が布施さん宅に到着し、布施さん宅のソファに座った時に家の中に隠れていた刑事たちが飛び出した。
宮田(松永太)は不当逮捕だ!と叫びながら、抵抗したが、森(緒方純子)は無表情で素直に手錠をかけられたという。
松永太と緒方純子の事件現場
松永太と緒方純子の逮捕、そして佳代ちゃんの証言で明らかになったのは、犯行が行われた事件現場の場所とアジト。
犯行が行われた事件現場の場所と当時の様子
小倉市内の3階建てのマンションの3Fの3号室。(仮にRマンションという。)
そこは捜査員が入った時には綺麗に家財道具は片づけられており、引っ越した後の様な状態ではあった。
しかし、室内の至る所には、誰がどう見てもおかしいと感じるほどの細工がされてあったという。
玄関のドアスコープ、新聞受けには内側から外が見えない様に段ボール紙や敷物が貼られ、室内の全ての窓には遮光カーテン。
ドアチェーンはドアが開かないほどの長さにチェーンはされていた。
更には室内の窓、ドア、ガラスの引き戸の全てにシリンダー錠や南京錠が備え付けられているという異様な空間が広がっていた。
そして更に不気味なのは、風呂場だけは異常なほど綺麗であった。
タイルも、床も、浴槽も、蛇口も、ピカピカに磨かれていたというが、それも不気味である。
二つ目の犯行現場にあったもの・・・
松永太と緒方純子が犯行につかったアジトの二つ目は、Rマンションから徒歩15分程度の場所にあるワンルームマンション。
そこは佳代ちゃんが監禁された場所であり、捜査員が入った時に非常に戦慄を感じさせるものがあったという。
それは、
「勝手に外出しません」 「もう逃げません」
と、書かれた紙が押し入れに貼られていた。
それは佳代ちゃんの血で書かれていた文字である。
布施さんの元から連れ戻された佳代ちゃんが、松永太と緒方純子に自虐行為を強要された際に書かされたものであった。
三つ目の犯行現場
小倉北区内にあるアパートの一階の一室。
佳代ちゃんは、そこで子供の面倒を見ていたという。
捜査員が中に入ると、そこには4人の幼い子供がパジャマ姿でテレビをみていたという。
年齢は5歳~9歳までの男の子で、今まで外出をせずに室内に引き籠っていたという。
当然、小学校にも通っていなかった。
捜査員は早急に児童相談所に連絡し、緊急保護を頼んだという。
ここが実質、松永太と緒方純子のアジトであったらしく、二人の詳しい身元を割り出す資料を捜査員は発見した。
北九州監禁殺人事件の犯行内容は無残そのもの・・・
佳代ちゃんの供述と、松永太と緒方純子の身元が割れたことで、警察は本格的な捜査を開始。
100名以上の捜査員を投入し、1996年に命を奪われたと思われる佳代ちゃんの父・布施喜一の事件の解明からはじまった。
佳代ちゃんの話では父はRマンションに、ずっと監禁されており、電気を通されていたという。
そして亡くなってからは浴室で分けられて、海に捨てられたと話していた。
そして、更に捜査中に佳代ちゃんの供述から驚くべき真実が語られることになった。
それは例のマンションの3Fで、4人の大人と2人の子供が監禁と虐待をされて命を奪われていったということであった。
そしてその6人の全てが緒方純子の家族であった。
緒方純子の父親・隆(仮名・61歳)
緒方純子の母親・繁美(仮名・58歳)
緒方純子の妹・絵理子(仮名・33歳)
緒方純子の妹の旦那・和夫(仮名・38歳)
緒方純子の姪・加奈(仮名・10歳)
緒方純子の甥・勇人(仮名・5歳)
しかし、この事件には最大の難点があった。
それは佳代ちゃんの父である喜一、そして6人の緒方純子の家族の亡骸がないのである。
佳代ちゃんの証言だけが頼りであり、逮捕されている松永太と緒方純子は完全黙秘をしている状態であった。
しかも佳代ちゃんの記憶は曖昧なところが多く、実際に松永太と緒方純子に犯行を手伝わされた箇所は全てではない。
警察は立件を諦めつつあったわけだが、松永太と緒方純子が逮捕されてから半年後の2002年10月に劇的な動きがあった。
緒方純子が
『事実をありのままにお話しする気持ちになりました。』
と完全黙秘から、取り調べに応じるようになったのだった。
『松永の指示を受けて、私は家族の命を奪いました。 亡骸を解体したのも私です。』
こうして犯行内容が明るみになっていくのだ。
緒方家の前に行われた最初の惨劇
布施さんの息子であり、佳代ちゃんの父親である喜一。
松永太の巧妙な罠に陥り、会社もクビになってしまって住む家が亡くなった喜一と佳代ちゃんは、惨劇の舞台となるRマンションに移り住んだ。
もはや他に行く場所がない喜一は松永太の玩具のように、通電を強いられた。
通電とは電気コードを二股に裂き、導線の先に金属のワニ口クリップをつけたもの。
それにコンセントに繋がっている延長コードをつけて、電気ショックを与えさせたのだ。
だが、松永太は自分でそれを喜一にするのではなく、全部、緒方純子に命令をしてやらせていた。
松永太は笑いながら酒をのみ、苦しむ喜一を喜んでみていたという。
更に佳代ちゃんには喜一に噛みつくように指示し、そのやり方も具体的であった。
そして、生活のパターンも事細かに規則を設けて、完全に身も心も支配されてしまっていた。
松永太に逆らえなくなった喜一は、消費者金融、友人、知人などから、お金を借りれるだけ借りて、松永太に渡すようになっていた。
喜一は総額1000万円ものお金を調達して、いよいよ借りるところが無くなって来た。
そこから、松永太が喜一にする仕打ちはエスカレートし、通電の回数も増えた。
もちろん実行するのは緒方純子である。
この頃には喜一は自力で何もすることも出来なくなり、身体中のダメージが計り知れないほどに酷かったのだ。
1996年2月26日、もはや意識を無くしかけているる喜一に通電を命じた松永太。
息を引き取った喜一は緒方純子と佳代ちゃんの手にかかり一か月後には消えてしまっていた。
北九州緒方一家
松永太は喜一がいなくなったことで、新たな金主を作る為に喜一の元嫁の友人などを騙して、Rマンションに住まわせた。
(松永太は金を作れる人間を金主と呼んでいた)
そして、喜一と同じ様に通電とルール強要などの洗脳行為が行われ、金になることは全てやらされた。
しかし、逃亡されて、新たな金ヅルを作る必要に駆られたが一向に見つからなかった。
そして、松永太は緒方純子の実家の家族に目をつけた。
緒方純子の実家は農家であり、緒方純子の父親・隆は農協関連の組織の副理事であった。
地元の名士であり、世間体を気にし、絶対に身内の端や弱みを明かさない人物であった。
松永太はここにつけこんだ。
緒方純子が一度、松永太の元から逃げたことを、盾にいいように緒方家の人間を取り込んでいく。
そして事もあろうに、喜一を始末したことを脅迫の材料にして、緒方家の家族を支配しようと画策した。
喜一の事件の証拠隠滅の片棒を緒方純子の父親・隆にさせて、緒方家のボスを手中におさえることに成功。
緒方家の頭を取り込んだ松永太は、緒方家内部で強い影響力をもったということである。
1人目
結果的に緒方家の人間はRマンションに通う日々を送り、少しづつお金を松永太に渡す状態に追い込まれていった。
更に松永太は緒方純子の母親・繁美や緒方純子の妹・絵理子と密かに肉体関係をもつようになり、緒方家の家族が団結せずに仲違いさせていく様にしていった。
結局、緒方家の面々は、農協からの融資を引っ張ったり、サラ金などから限度額一杯を借りたりして、松永太に6300万円ものお金を渡していた。
この頃にはすでに緒方家全て洗脳されており、結果的に家族全員がRマンションでの同居生活を強いられることに。
同居する人間すべてに松永太はランク付けをして、一番、下にならないように皆が松永の顔色を窺うようになり奴隷と化していた。
そんな中、喜一の時と同じように、緒方家最初の犠牲者になったのは緒方純子の父親・隆だった。
隆の亡骸は緒方家の5人で10日間に渡って、消された。
2人目
Rマンションでの肉親同士が、ランクの下にならないようにお互いの行動を見張り、疑心暗鬼にかかる異常な生活。
そんな中で完全に精神状態が崩壊したのは、緒方純子の母親・繁美だった。
すでに命令などを聞ける状態ではなく、度重なる通電と過度なストレスによって、奇声を上げて動けなくなっていた。
ここでも松永太は自らはそう仕向けるだけで、最終決定を緒方家の人間に任せた。
緒方純子の妹の絵理子と、その旦那・和夫が電気コードで繁美の命を奪った。
その一週間後、繁美の亡骸は緒方家の人間の作業によって消え去った。
3人目
絵理子はこの頃、松永太の子供を妊娠していた。
松永太が絵理子の始末を監禁している緒方家の人間たちに急かせたのは、そういう理由が大きかった様だ。
しかし、この時ばかりは松永太に従順な、緒方純子も尻込みしたという。
そんな時に妹の旦那・和夫が絵理子の始末を申し出てきたという。
驚くべきことに緒方純子の姪・加奈、和夫にとっては娘と2人で絵理子を手にかけたという。
だが、松永太は後になって、そう仕向けたにもかかわらずに激しく緒方純子と和夫を罵倒。
彼らに通電を繰り返して、和夫をランクの一番下に落とした。
4人目
この頃には和夫には少量の食事しか与えておらず、見る見る衰弱していったという。
更には松永太は緒方純子に命じて、人間の尊厳を著しく傷つける鬼畜な所業も行わせている。
そんな状態で松永太は和夫に無理矢理、お酒を大量に飲ませた。
通電も繰り返して、お酒も飲ませ衰弱し刺激に耐えられなくなっていた和夫の体は限界を超えた。
和夫の処理は緒方純子とまだ10歳の姪・加奈が行い、一か月後に消えた。
5人目
緒方純子の甥・勇人は5歳であり、非力だったこともあって一度も通電は受けてなかった。
むしろ、松永太に優遇されており、一連の家族同士の犯行が目につかない状態にされていた。
だが、松永太は幼く作業も出来ない勇人を次の標的に選ぶ。
加奈と勇人に松永太は『お母さん(絵理子)に会いたいよね?』と優しく問いかけて、ここでも言葉による洗脳を仕掛ける。
そして、緒方純子と加奈が勇人を手にかけようとしたときに現れたのが、佳代ちゃんである。
佳代ちゃんは松永太と緒方純子の2人の子供を面倒見ていた為に、緒方家のランク争いには加わってはいなかった。
だが、既に緒方純子と子供しか残っていない状態に、作業の遅れを感じていた松永太は佳代ちゃんを参加させたのだった。
こうして残りは緒方純子と加奈だけになった。
6人目
松永太の次の標的は加奈となり、食事は減らされて通電の回数も多くなっていった。
更に松永太は言葉によって加奈が自ら命を断ちたくなるように、更なる洗脳を施していたという。
そして勇人がいなくなってから3週間後に、緒方純子と佳代ちゃんが松永太に命じられて加奈を手にかける。
既に悟っていたかのように、加奈は大人しくしていたという。
1997年4月から1998年6月の1年と2か月の間で北九州の緒方一家は、犯人の緒方純子を残して跡形もなく消え去った。
事件の顛末
その後、Rマンションは緒方純子と佳代ちゃんの手によって、綺麗にされている。
松永太と緒方純子、佳代ちゃんはRマンションと他のアジトを行ったり来たりする日々を送っていた。
緒方家からは6500万円ものお金を奪った松永太だったが、そのお金はこの時には底をつきかけていたという。
新たな金ヅルとして、旦那と離婚を悩んでいた専業主婦にあたりをつけた。
元々、松永太が20歳の頃に、交際していた女性であった。
彼女には2人の双子がおり、松永太は最初は優しく声をかけて近づいて、親身に話を聞き信用を得る。
そして、離婚をして自分と再婚しようというように迫り、言葉巧みに孤立させるようにした。
双子の子供は緒方純子との間に出来た子供と同居させて、佳代ちゃんに面倒をみさせていた。
この女性には通電などの虐待は行わなかったが、お金の工面が出来なくなると風俗で働かせたりなどして、2年半で約3300万円を引っ張り出していた。
2002年1月に佳代ちゃんが祖父母の布施さんのところに逃亡。
佳代ちゃんは中学を卒業してからは、ずっと松永太と緒方純子の2人の子供と、双子の子守りをしていた。
だが、この頃に松永太から激しい暴行をうけて、命の危機を感じたことから、ついに逃亡したのだ。
だが、2月14日に祖父母の元から連れ戻された佳代ちゃんは、通電され続け、更には血判状を書かされた。
そして自傷行為を強要されて、20日間に渡って虐待され続け、再び命の危険を感じて2回目の逃亡をして警察に布施さんと供に駆け込んだのだ。
もしも、佳代ちゃんの2回目の逃亡が失敗に終わっていたら、佳代ちゃんも父親の喜一や緒方一家と同じ末路を辿っていたのは間違いない。
また、北九州監禁殺人事件は完全犯罪となって、知られることなかった。
更には現在まで松永太の指揮下の元で、人知れず陰惨な犯罪の犠牲者が出ていたことも間違いはない。
北九州一家殺人事件の前に
事件のキーマンとなった佳代ちゃんであるが、この事件が始まる切欠となった父親・喜一との関連性を紐解いておく。
松永太や緒方純子の個々の詳しい生い立ちなどは、別記事に。
佳代ちゃんの父である喜一は1992年当時は不動産会社の営業マンをしていた。
松永太は実業家でありながら、天才的詐欺師でもあり、自らの手は決して汚さない悪賢い男あった。
喜一と会う前から、詐欺を働き、経営していた会社の部下などを通電による虐待で支配。
更にお金をむしりとって、自分自身の恋人を自殺に追い込む卑劣な男であった。
緒方純子は松永太のいわば奴隷であった。
しかし、詐欺などを働き過ぎて、住む場所を転々と変えていた松永太と緒方純子は部屋を借りる際に知り合ったのが喜一。
北九州監禁殺人事件の舞台となる小倉にきてから松永太と緒方純子は6か所も住む場所を変えている。
その仲介をしていたのが喜一であった。
この頃には佳代ちゃんの母親である女性とは離婚しており、3人の子連れの内妻と佳代ちゃんの6人家族で暮らしていた。
松永太は言葉巧みに喜一を手玉にとり、時には話術、時には金を握らせて信用をつけていく。
松永太は宮田と名乗り、喜一には日立系列の会社で働いていて、コンピュータ技師であるといっていた。
コンピュータのプログラムを組んで、競馬の予想が出来るソフトを開発。
それを事業にするという投資話を喜一に持ちかけていた。
喜一はこの投資話に興味を持ち、内縁の妻である女性には『頭のいい人と知り合ったから、彼と新しい事業を始める。』と、興奮していたという。
喜一の内縁の妻は大手上場企業に勤めていたので、二人の収入を合わせると子供が4人いたとしても贅沢な暮らしが出来ていたという。
幸せな家庭生活を営んでいたが、喜一は松永太と関わりだしてから、変わっていく。
彼女も喜一の勧めで、松永太と緒方純子と会って、お酒を飲んだことがあるという。
その席では松永太と緒方純子は、喜一を『所長』といって持ち上げて、おだてていた。
その気になっていた喜一は、彼女の貯金を事業の為と言って、まとまったお金をせがむようになった。
更には消費者金融などからお金を借りまくり、返済の通知書が自宅に来るようになっていたという。
あまりの変貌ぶりに内妻の女性が心配すると、激高しだして彼女に暴言をはいて、松永太と緒方純子の元へ行き返ってこなくなる日が続いたという。
結局、喜一が松永太と緒方純子と知り合って、1年9か月後には彼女に別れを告げて、勤めていた不動産会社の社宅へ引っ越してしまったのだ。
彼女が何があったのか分からないままに、心配で松永太に連絡をとると、『あなたがそんなに心配しているのに、所長はどうしたんでしょうね。』と、うそぶいたという。
しかし松永太は喜一を金ヅルとしかみておらずに、既に正常な精神状態ではない喜一は会社もクビになる。
更には喜一の妹であり、佳代ちゃんの叔母である和子さんにも近づいていたのだった。
和子さんには、喜一についていた以上の嘘をついており、海外を飛び回るコンピュータ技師で、NASAの開発にも携わっているという荒唐無稽なホラも吹いていた。
しかし、持ち前の話術で信用させており、いずれは金ヅルに仕立て上げようとしていたのだ。
おわりに
松永太と緒方純子が逮捕されてから、二人が警察に話す供述内容は真逆であった。
緒方純子と佳代ちゃんの証言の食い違いが若干あったこともあるが、大筋、松永太が事件の首謀者であったことが判明。
だが、松永太はあくまで自分は緒方純子や緒方一家の為に出来ることをしていただけといい、佳代ちゃんのことを虚言癖だらけの不良と証言。
頑として松永太は自分の罪を認めようとはせずに裁判では全面無罪を主張。
一方の緒方純子は全面的に認めていた。
検察側の死刑求刑をし、2005年9月28日に福岡地方裁判所小倉支部は、松永太と緒方純子に死刑判決を言い渡した。
松永太はすぐに控訴し、緒方純子は判決に準ずるつもりであったものの、弁護団の説得に同意して控訴。
2007年9月26日の上訴審での判決は、松永太には変わらず死刑判決を言い渡した。
緒方純子に対しては警察の捜査に最初は黙秘を続けていたものの、自白が事件解決に繋がり、反省の態度も考慮した上で無期懲役の判決を言い渡した。
松永太はこの判決に烈火のごとく怒り、すぐに上告し再び無罪を主張。
2011年12月12日、最高裁判所は松永太の上告を棄却し、死刑判決を確定させた。
尚、ここでは佳代ちゃんと呼んでいた少女は、事件に関与した時には13歳であった為に、刑事責任に問うことは法律上出来なかった為に、事実上、無罪となっている。