少年ライフル魔事件は1965年7月29日に18歳の少年が起こした戦慄の事件。
別の名前を渋谷銃乱射事件といい、犯人は未成年でありながら、あまりにも凶悪な事件だった為に実名公開がされたのです。
犯人の名前は片桐操(かたぎりみさお)と言います。
彼の生い立ちを見ていきましょう。
片桐操が生まれてから中学卒業まで
片桐操は1947年4月15日生まれ。
東京都世田谷区に住まいがあり、父親は元陸軍上等兵であり、当時の家庭環境は一流そのもの。
4人兄弟の末っ子として、いわゆる『おぼっちゃん』として育てられた。
彼が小学生のころにハマっていたものは銃や兵器などであり、ミリタリー雑誌【丸】をこよなく愛読していたそうです。
学校の成績はあまり良くは無かったものの、子供ながらに恵まれた体格を持ち合わせていた。
しかし、性格は内向的で友達と呼べる同級生はいなかった。
操が小学校4年生の頃に母親は病気で他界し、5年生になるころには父親は後妻を娶る。
片桐家に入った継母と、操は良好な関係を築けていたという。
父親は息子・操がミリタリーにハマっていることは、元軍人であったことからも嬉しかった様子。
操が中学生になるころには、当時、4500円(現在でいうと18,000円位)の玩具の銃を買い与えている。
彼にはこう言っていたそうです。
『10万円くらいの銃ならいつでも買ってやる。』
当時の10万円といえば、現在では40万円くらいの価値があります。
軽く操に言う父親はこれを見ても、彼がミリタリーに興味を持って勉学をそっちのけで夢中になっているのは気に入っていたのでしょう。
しかし、操にこうも言っていた。
『しかし、間違っても銃で人を殺すな。 そんなことがあったら殺すより、まず自分が死ね。』
さすが元軍人だけあって、息子の趣味に理解を示すも、人の道を外さない様に厳しく躾けていたようですね。
片桐操の姉のプレゼントがヤバイ!
操には7つ年上の姉がいたのですが、彼女は操に中学卒業祝いとして、35000円のライフル銃と4000円の照準器をプレゼント。
これは玩具では無く、本物の銃器であった為に、本来は操が所持することは出来ない。
姉は自分名義でそれらを購入し、操に買い与えた。
現在の貨幣価値にして、およそ16万円・・・しかも、殺傷能力がある銃をプレゼントというのは、もはや普通ではありませんね・・・。
中学卒業後は操は進学せずに、自衛隊に志願した。
進学しなかった理由は家族に金銭的負担をかけたくなかったというのと、一刻も早く大手を振って銃を扱える職業に就きたかったから。
しかし、自衛隊の試験には落ちてしまい、失意の中、自動車修理工の見習いとして社会に出る。
しかし、見習いはあまり続かずに、コックの見習いを仕事にして、18歳を迎える。
片桐操の飽くなき銃への気持ちが事件を起こした!
1964年、操は待ちに待った18歳の誕生日を迎えた。
かねてより計画していたのは、姉から中学卒業の頃にプレゼントされたライフル銃を自分名義にすること。
そして、新たに自分で新しい銃を購入するということだった。
彼は職場に40日間の有給休暇をとり、プレゼントされたライフル銃を自分名義に変える為の手続きをとり、後に事件を起こす場所となる【ロイヤル鉄砲火薬店】へ足を運ぶ。
そこで40000円の水平2連式散弾銃12番と、20000円の銃ケースを購入した。
その銃を買う為に以前から給料をコツコツと貯金していたという。
操は有給休暇中にすべてが虚しく、どうでも良くなったのでしょうか?
有給休暇が過ぎた後に、それまで就いていた仕事を退職しており、徐々に憑りつかれたかの様に自分のしたい事の妄想に没頭していく。
片桐操の銃への想いは半端なものではなかった!
操は銃の扱いには細心の注意を払い、おかしいくらいに丁寧だったという。
油雑巾を使って、手入れには4~5時間をかけることは当たり前であった。
『指紋がつくから・・・』
そう言い、自分の銃を家族の誰にも触れさせなかったといいます。
家庭は極めて裕福であり、良好な家族関係。
何不自由なく操は少年期を過ごしていたはずですが、ただ大好きな銃を所有しているだけでは、その内なる欲望を満たすことは出来なかったようです。
仕事をやめて無職となった操は、暑い夏となった1964年7月29日にスズメを愛用の銃で撃っているところを通報されたのを切欠に、事件の口火を切ることになるのです。
その後、600人の警官隊と抗戦を繰り広げ、日本事件史上、類を見ない少年ライフル魔事件(渋谷銃乱射事件)の犯人となるわけです。
片桐操は逮捕されて裁判にかけられている時、この様な主張をしていたそうです。
「銃への魅力は今尚つきない。将来、社会へ出て、再びこのように多くの人に迷惑をかけることのないような刑、死刑にして欲しい」
ちなみにこの事件を担当したのは、『赤鬼』として警視庁の刑事で有名であった緒方保範である。
緒方保範についてはコチラ。