三宅純と言えば、君が代アレンジャーとして、リオオリンピックから一躍、有名になった作曲家。
その独創的なセンスに注目が集まり、情熱大陸に出演することが決まっている。
果たして、現在に至るまでの経歴とはどの様なものだったのだろうか?
三宅純の君が代はイノセンス?!
三宅純と言えば、やはり神アレンジと言われて名高いリオオリンピック閉会式の【君が代】。
彼の手によってアレンジされた日本の国家・君が代は、国内の中年世代や若い世代を中心に高い評価を得ている。
その独創的でありながら、日本の伝統を彷彿とさせる神秘的なイメージを連想させるものであった。
現在、あらゆる動画投稿サイトでアップロードされており、まるで押井守監督の大ヒットアニメ映画・攻殻機動隊の続編【イノセンス】の音楽の様であると評判。
かの音楽は川井憲次が作曲した音楽であるが、どちらも音楽家としては、ジャンルは違うものの、並々ならぬ感性を持っている。
リオオリンピックで発表された三宅純による君が代を正規のものにしたいという声も多数、上がっている。
三宅純が情熱大陸に出演
2017年1月29日・TBSの人気番組である【情熱大陸】は三宅純を取り上げる。
ハイブリッドな音楽家というキャッチフレーズで、その素顔に迫るドキュメンタリーとなるようだ。
居住地のパリでのプライベート模様や、日本に来日した際の三宅純の様子に密着。
三宅純は自分の音楽については『ジャンルなんてない』と語っているそうである。
ジャンルに縛られずに、己の感性を前面に押し出したからこそ、君が代があれだけ素晴らしいものに生まれ変わったと言える。
三宅純の経歴について
【名前】 三宅純(みやけじゅん)
【生年月日】 1958年1月7日
【星座】 やぎ座
【出身地】 京都府
【居住地】 フランス・パリ
【担当楽器】
三宅純は京都府で生まれ、幼少期は鎌倉で過ごした。
小学生の頃に友人の家で、ジャズ音楽に魅せられた三宅純は、トランペット奏者を目指して独学で練習。
高校生の頃からプロのアーティストとして、新宿などのライブハウスで活動をしていたという。
両親は反対していたが、それを押し切って尊敬するトランペット奏者・日野皓正の元を訪れたという。
日野皓正の推薦を受けて、何とマサチューセッツ州ボストンにあるバークリー音楽大学へ進学をこぎつけたという。
大学在学中には自身のグループを率いて、ニューヨークやボストンで活動し、ジャズコンクールで優勝するなどの実績を上げた。
1981年に帰国後は、ジャズミュージシャンとして、ライブ活動、スタジオミュージシャンとしての活動。
そして、作曲と編曲などを手かげて、後にコマーシャル音楽の王様と言われる程に、CMで使用される音楽の作曲を手掛ける様になった。
1996年には映画監督オリバー・ストーンの推薦により、アメリカの大手エージェンシー【CAA】で音楽家として契約。
2005年にはパリに移住し、世界を視野に入れた作曲活動を始めた。
欧米で数々の賞に輝き、瞬く間に有名作曲家として、数々の映画音楽の作曲などに起用され、世界的に活躍している。
三宅純には結婚と離婚の過去が・・・
今や世界的に大活躍している三宅純だが、日本で活動していた時には結婚していたという。
1990年代、CM音楽の制作をメインに活動していた時には、妻と娘と供に暮らしていた。
が、CM王という異名をとり、売れっ子だったにも関わらずに、それに疑問を抱いた三宅純は海外での活動を視野に入れた計画を立てたという。
その後に妻と離婚して、娘を引き取り、彼女が高校を卒業するまでの10数年間を待ち、2005年にフランス・パリに渡ったのだそうだ。
おわりに
三宅純の様に世界を相手に活躍しているアーティストがいるというのは、同じ日本人にとって誇りである。
そして、日本人ならば知らない人間はいない国歌【君が代】を、素晴らしいアレンジで世界に公開したのだから、たまらない。
その経歴に裏打ちされた三宅純の素顔には、結婚と離婚という普通の人間の姿もあることから、そのギャップもまた魅力的だ。
テレビ番組・情熱大陸では、今まで公になっていない三宅純の一面が垣間見れることを期待したいものだ。