磯野祐紀さんという大学生でありながら、探検家でもあった若者が非業の最期を遂げた。
生前、磯野祐紀さんが残した顔画像やツイッターなどを掘り下げていくとともに、最期の場所となった現場や大学なども特定できた。
24歳という若さ、志半ばで逝った磯野祐紀さんの痕跡を辿ってみよう。
磯野祐紀の最期となった報道
磯野祐紀さんの死を報じたのは共同通信である。
13日午後1時55分ごろ、岡山県高梁市川上町高山市の山中で、洞窟探査をしていた京都市右京区の大学生磯野祐紀さん(24)が崖下で倒れていると119番があった。
磯野さんは病院に運ばれたが、約2時間後に死亡が確認された。
高梁署が詳しい状況や死因を調べている。
署によると、磯野さんは大学の探検部に所属。他団体と合同で、13日午前10時半ごろから7人で洞窟の調査や新たな洞窟の探査をしていた。
同行者が倒れている磯野さんを発見した。
引用:共同通信より
大学生でありながら、若くして探検家という活動をしていた磯野祐紀さんの突然の死には、関係者には衝撃が走ったことだろう。
志半ばという言葉が深く聴覚を刺激する様である。
そんな磯野祐紀さんの大学や顔画像やTwitterなどの有無を今度はみていこう。
磯野祐紀の大学は?
報道では明かされていないが、どうやら磯野祐紀さんの通っていた大学は立命館大学法学部であるようだ。
その裏付けはTwitterにある。
磯野祐紀さんの顔画像やTwitter
磯野祐紀(法学部?回生)
カツオ。元主将。頼りがいのある兄貴分・師匠ポジ。オタク。『海外遠征いかないと死ぬ』という呪いをかけられ、退部できなくなった。とても優しくてなんか困ったことがあったら相談したくなる人柄の持ち主。探検技術はランクS。#春から立命館 pic.twitter.com/4QagP0oyb9— 立命館大学探検部 (@rits_tanken) April 2, 2020
磯野祐紀さんが個人でTwitterユーザーであったのではなく、立命館大学探検部のTwitterにしっかりと磯野祐紀さんの顔画像と詳細がつぶやかれている。
この顔画像は2020年4月に撮影されたものであるようだから、近影と呼ぶに相違ない新しいものである。
磯野祐紀は過去にも報道されていた!
実は磯野祐紀さんは過去にもその名前がメディアに取りだたされている。
それは元大学探検部であり現在はメディアに寄稿も手掛ける白戸氏が立命館大学探検部の苦悩と若者へのエールをおくるWeb記事を手掛けた。
磯野祐紀さんを中心にした立命館大学探検部の詳細を詳しくレポートしている。
洞窟探検などに情熱を注いでいるものの、部の存続が困難であるという苦悩などが事細かにつづられている。
磯野祐紀さんをはじめとする探検部員たちは授業にも忙しく、アルバイト忙しく安息のない状態などが分かる。
是非、一読することをおススメする。
外部リンク →大学探検部が存続できない窮屈な時代 「挑戦する若者」は育つのか
磯野祐紀が亡くなった場所は?
磯野祐紀さんが発見された洞窟の名前は報道などでは明らかにされていない。
しかし、岡山県高梁市川上町高山市にある洞窟は【御神窟】というもの一つしかないと思われる。
キャンプ地で名高い弥高山公園が近くにあり、同じく有名な社である弥高山神社の近く。
おそらく、ここで磯野祐紀さんは最期を遂げたのであろうと思われるのだが・・・。
磯野祐紀さんのまとめ
磯野祐紀さんという前途有望な若者の死は、非常に惜しいと感じる。
探検家ということであるからには、屈強な肉体と精神力を兼ね備えているのは間違いないわけである。
こうした若者は、激動の荒波が待ち受けている一般社会に出て行っても、たくましく社会の価値となる逸材となれたはずである。
だが、磯野祐紀さんは自身が命を賭けて楽しめる探検の中で、その最期を遂げた。
それはある意味、もしかしたら仕事冥利に尽きる・・・自分自身にとって最高の幕引きであったのかも知れない。
そうであれば、残念とか惜しいと感じるのは、逆に失礼にあたるのかも知れない。
ただ、今は磯野祐紀さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。