山口蛍の幼少期は結構、苦難に満ちていた。
蛍とは父と母が”どんな暗闇でも明るい光を歯無い続けられるように”と、命名した特別な想いが由来している。
そんな父と母が離婚して、母は山口蛍や兄の元を去っていった。
父に育てられ、兄と供に育った子供時代を振り返り、現在の親子関係を見てみよう。
山口蛍の父と母
山口蛍は父と母と兄の4人家族の末っ子として子供時代は過ごした。
父は大阪の商社の営業マンである。
また社会人チームのサッカー選手でもあり、小さい頃の山口蛍と2歳年上の岬とは父のサッカープレイを見ていたという。
そんな父の影響でサッカーを始めたのが山口蛍だ。
小学校3年生の時に少年サッカー団の【箕曲WEST SC】に入団し、メキメキと才能を開花させていく蛍を見て、父の憲一は蛍がプロサッカー選手になれると思ったそうだ。
余談ではあるが、父の憲一は後日、蛍が入団した【箕曲WEST SC】のコーチになったという。
山口蛍の父と母は離婚
サッカーの魅力に憑りつかれ、その面白味が分かってきた小学校4年生の蛍に最悪な事態が起きる。
それは父・憲一と母の離婚だ。
離婚の原因は詳しくは分からないが、母がいなくなった山口蛍と父や兄にとっては痛恨の痛手であった。
父の憲一は小学生の兄・岬と蛍の為に忙しい営業マンを退職し、アルバイトをかけ持ちする等をして、一分一秒でも子供たちと時間を供に過ごす選択をしたそうだ。
朝は新聞配達をして、夜はバーテンダーとして稼ぐという生活を子供たちの為に選んだ父・憲一。
昼は家事や息子たちと供に過ごすという生活をする為に、敢えてこの様な仕事を選んだのだ。
この様子は兄と蛍の気持ちに、大きな心強い父の姿を焼きつけたと言えるだろう。
山口蛍と兄・岬のエピソード
山口蛍と2歳年上の兄・岬は、近所ではとても仲が良いと評判の兄弟だったようだ。
が、しかし、非常にやんちゃ坊主であった為に、近所の大人たちに怒られることが度々あったそうだ。
血気盛んでやんちゃな兄弟は、水田に水を供給する貯水池の水栓を引っこ抜いて楽しんでいたというから、とんでもない悪ガキと言える。
まあ、憎たらしいけど可愛い憎めない岬と蛍の様子が想像つくわけだが。
山口蛍と家族のまとめ
現在、セレッソ大阪で活躍している山口蛍を、別れた母はテレビで見ていることだろう。
母と山口蛍が現在、繋がりがあるのかどうかは、本人たちにしか分からない。
しかし、一生懸命育ててくれた父に対しての感謝は行動に現れている様だ。
プロサッカー選手として大成した山口蛍は父の憲一にせめてもの感謝の気持ちとして、高級外車【アウディ】をプレゼントしたというのだ。
アウディを貰ったからとかではなく、その感謝の気持ちには、おそらく父の憲一は涙が出る程、嬉しかったに違いない。
母がいなくなったという逆境を乗り越えて、父と兄と、たくましく生きてきた山口蛍が厳しいサッカーの世界で生き抜けたのには、こうした過去があったからなのだろう。
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