小川宏と言えば、フジテレビが誇る名司会者として知られた人物。
その小川宏は現在、死去していたことが知らされて、往年の活躍を知っている視聴者は驚いている事と思う。
そして、小川宏は長年、うつ病を患っていたことでも知られているのだが・・・。
小川宏について
小川宏は1926年4月27日に東京都墨田区で生まれた。
早稲田大学を卒業後に、一般企業に就職したが半年で退職し、NHKに入局。
NHK鶴岡、NHK郡山などの局に配属されながら、1952年に東京勤務となり、社内で頭角を表す。
1955年に当時の人気クイズ番組【ジェスチャー】の司会者となり、10年もの期間、出演し知名度を上げた。
1965年にNHKを退職したあとは、フジテレビと契約を結んで、かの有名なワイドショー【小川宏ショー】を任される。
小川宏ショーの司会期間は17年に及び、4451回の放送回数を誇る。
これは『人の名前が付けられたテレビ番組の最長記録』として、ギネスブックに認定されていた。
この記録を破ったのは、あのタモリが司会を勤めた【森田一義アワー・笑っていいとも】である。
小川宏ショーの後にうつ病
小川宏ショーが終了したのは1982年3月31日。
その後はフジテレビの特番やバラエティ番組の司会者として売れっ子だった小川宏。
しかし、1991年の秋に体調不良が起きて、病院へ。
診察の結果、身体はどこも悪くなく、この体調不良の原因は分からずじまいだった。
小川宏自身も何故、自分が体調不良なのかが分からなかった。
しかし、1992年3月16日の朝に、家族に気づかれない様に外出。
一人で踏切に飛び込もうとしていた小川宏がいたのだ。
小川宏のうつ病の原因
踏切に飛び出そうとした時に、頭をよぎったのは親しい人達の顔。
自殺を思いとどまり、小川宏は嫁と供に日本医大に向かい、自身の中に起きていることを医師に告げる。
診察入院をした結果、初老期進行性うつ病であることが分かり、3ヶ月もの入院を経て、長い間、投薬治療をしていたという。
小川宏のうつ病の原因は、NHK退職後にフリーとなった時に立ち上げた自身のプロダクション経営において、身内に9000万円ものお金を盗られ、裏切られたことに端を発する。
が、お金だけではなく、小川宏側の身内の裏切りによって、嫁にもかなりの負担と迷惑をかけたことで、大きな精神的なストレスを抱えたことが原因だった。
おわりに
現在、小川宏の訃報が全国に知れ渡り、多くの人間が司会者として、一時は日本一の司会者としての実績を上げていた彼を思い出していることだろう。
長年、小川宏を起用し続けていたフジテレビも以下の様な追悼コメントを発表。
小川宏さんはご自身のお名前が番組タイトルになった、小川宏ショーで司会をされ、長年にわたりフジテレビの朝の顔として、ご活躍されました。現在のワイドショーの礎を築かれたご功績に敬意を表すと同時に慎んでご冥福をお祈り申し上げます
そんな小川宏がうつ病を患いながらも、それを完治させて、死去の直前まで、うつ病を克服した過去などを講演する活動を行っていたのだ。
謹んで、小川宏のご冥福をお祈り申し上げる。