伊藤元太の多摩川の事故に関して、多くのユーザーがその詳細を求めている。
生前、伊藤元太が子役として活動していた時に密接な繋がりがあった【天てれサーカス部】には、両親の手記が掲載されている。
伊藤元太の多摩川の事故の詳細と、両親のいたたまれない想いを紐解いて、彼の活動を忘れない様にしていこう。
伊藤元太のTwitter
車の免許取りましたー😆😆😆
これで一歩大人になった😎— 伊藤元太 (@gengen0105) 2016年8月30日
伊藤元太は芸能界を退いてからも、Twitter上で頻繁に自己情報を発信していた。
しかし、2016年8月30日の上記のツイートを最後にTwitterの更新が止まっている。
伊藤元太の動向に常に注目していたファンや関係者は、当時から動揺を隠せない様子であった。
Yahoo知恵袋などにも、伊藤元太が現在、どうしているのか?等という投稿があったりした。
しかし、詳細が分からぬまま、その後は行方不明になった元子役タレントとして、ざわついていた様だ。
伊藤元太の多摩川の事故とは?
伊藤元太は上記のツイートの翌日、2016年8月31日に青梅市内の多摩川に、友人3人と供に遊びに出かけていた。
当時の多摩川は台風の影響で増水しており、中洲に取り残されてしまった伊藤元太を友達が迎えに行った。
岸に二人で戻る途中に、激流となった多摩川の水流に飲み込まれてしまった。
伊藤元太と友人は溺れかけて、迎えに行った友人は岸に戻り助かったものの、伊藤元太はそのまま川に流されてしまい、命を落としたのだった。
伊藤元太の両親の悲痛な想いが天てれサーカス部で・・・
伊藤元太の両親がこれまで彼の事故を公開しなかったのは、心の整理がつかなかった為であると、述べている。
NHK教育テレビの【天才てれびくんMAX】のプログラムから派生した【天てれサーカス部】の公式サイトに、伊藤元太の両親から1月5日の誕生日を迎えたことにより、公表することを相談されたのだ。
伊藤元太の活躍とご両親の切実な想いを、忘れぬためにも引用してみよう。
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多くの方からご心配のご連絡を頂き有難うございます。
我が家は元太が亡くなった8月31日以来、時が止まってしまいました。
”慟哭”とか”断腸の思い”とか小説や物語の中でしか知らなかった言葉が私たち夫婦に襲いかかり、元太がいないという現実に毎日のように打ちひしがれております。元太に会いたい、元太の声が聞きたいという思いは日が経つにつれますます強まり「ただいまあ・・・!」という元太の声が
聞こえてこないかと玄関先に耳をかたむけている毎日です。
元太が中洲で身動きができなくなった時に助けを呼んでくれていたら・・・。本当に無念です。
元太との思い出の品を整理しました。
高校卒業式当日に担任の先生から「子どもさんからのお手紙です!」と頂いた“母へ”という手紙と、元太が高校一年生の時に作った”将来の予定表”が出てきました。手紙にはその最後に「元太を生んでくれてありがとう」という母への感謝の言葉が記してあり、予定表には90歳!で永眠するまでの一生の予定が書かれてありました。
これを二人で目にしたとき、私たちは号泣しました。元太の子ども、孫を抱きたかった。親である私達の命と元太のまだ70年以上あったはずのその命をできることなら代わってあげたかった。
元太が生まれてから一緒に過ごした18年間は本当に幸せでした。
NHKへの出演も含め、小さい頃からの元太の活動とファンの方からの
応援に私たちは励まされ、元太の健やかな成長に幸せを感じながら将来の夢を託しておりました。長じてからは、何よりも元太自身が自分の力によって大学の入学や芸能事務所への所属など、幸運を引き寄せたことに親として喜びも感じておりました。それがこの8月31日、一瞬にして彼の夢と希望や家族の幸せが断ち切られてしまいました。
よく時が解決すると言いますが、子どもを喪った親には解決するような時は流れません。
今もカレンダーは8月のままです。テレビも見なくなりました。元太が元気でいた時と同じように
元太のお骨に話しかけ、食事を作っております。それでも元太は食べてはくれません。返事もありません。元太の生の声が聞きたい。明るい元気な声をもう一度聞きたい。
元太の事だから沢山沢山やりたいことがあっただろうに・・・。誰よりもびっくりしているのは元太本人だと思います。
どうか元太の笑顔を思い出して頂けると幸いです。
これまで元太の成長を見守り応援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。有難うございました。
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伊藤元太を愛していたご両親の想いが多くのユーザー達に届くことで、少しでも、その悲しみが癒されるのならば良いのだが。
おわりに
伊藤元太は早稲田大学に進学する前は、埼玉県の私立・栄東高等学校に在学していたという。
勉強熱心で多くの学びを得なければ、入学出来ない名門高校である。
偏差値70以上を誇るという学校であり、伊藤元太が芸能だけではなく、自らの将来を見据えて勉学をもおろそかにしなかった性格であったことが伺える。
非常に残念な真実が日本中を駆け巡ったわけだが、伊藤元太の姿と真実を忘れない様にしたいものだ。