渡瀬恒彦は過去に女優・大原麗子を嫁として離婚をしている。
その後、再婚をして一般女性との間に二人の子供をもうけて、幸せな家庭を築いていた。
そんなかつての嫁である大原麗子は凄まじい最期を遂げており、その死因は未だに物議を醸しだしていた。
渡瀬恒彦の嫁について
渡瀬恒彦は俳優として映画デビューした3年後の1973年9月に女優の大原麗子と結婚。
4年と数カ月の結婚生活の後に、大原麗子と離婚をして、翌年の1979年に一般女性と結婚をしたという。
大原麗子は離婚前に神経系の病気である難病・ギランバレー症候群を発症。
それに加えて嫁姑問題も離婚に原因していると囁かれている。
二度目の結婚をした現在の嫁については、一般女性である為に全くといっていい程の情報がない。
しかし、前の嫁である大原麗子にも渡瀬恒彦同様、様々な逸話があり、少々、それは異質なものとして伝えられているのだ。
渡瀬恒彦と大原麗子
渡瀬恒彦と大原麗子が離婚した後、一方的に大原麗子が渡瀬恒彦に連絡をとっていたという逸話がある。
離婚の理由などは明確には伝わっていないものの、この行動から愛情はあったと思われる。
大原麗子は渡瀬恒彦が離婚後に一緒になった嫁と話して、心中の想いを取り次いでもらったこともあるのだという。
また大原麗子の弟である大原政光氏に頼み、渡瀬恒彦の自宅にまで送迎してもらっていたことまで明るみになっているのだ。
これは今でいえばストーカー行為にあたるかの様な、少々、不穏なやり取りである。
そんな大原麗子は渡瀬恒彦と離婚した二年後に森進一と再婚をするも、こちらも4年後に離婚。
男性関係において全くうまく行っていないのが見て取れるのだが、これは病気だけが原因ではないと思える。
だが、2004年に放送された十津川警部シリーズの際、大原麗子と26年ぶりの共演もしていたが、その際、特に以前の様な人間関係が戻った様なことはないそうだ。
それもまた、悲しい事実であるのだが・・・。
大原麗子の死因について
大原麗子は20代の若さで難病・ギランバレー症候群という病気を発症。
様々な障害を乗り越えて、リハビリを重ねて懸命に芸能活動を続けていた。
この精神力は非常に素晴らしいものがあると感じる。
その甲斐があってか、途中、ギランバレー症候群の進行は緩やかになったようで、とんねるずのバラエティ番組などでお茶の間をわかしたのは記憶している方もいるだろう。
が、1999年末に再び発症し、芸能活動を休止することになる。
そして2009年8月3日に自宅で孤独死を迎えていたということが、ショッキングな報道となって日本中を駆け巡った。
死因は不整脈による頭部の血管が破れたことによる内出血というものだった。
弟の大原政光氏が連絡がとれない大原麗子を案じて、自宅にいってみると、死去していたのだという。
一説によると大原麗子が自宅で息を引き取ってから2週間近く放置されていたという。
その惨状はお察しのとおり、極めて惨たらしい状況だったことは想像にかたくない。
おわりに
渡瀬恒彦が死去して、様々な話題に注目が集まっている現在。
嫁であった大原麗子も既に他界しているわけだが、壮絶な最期を遂げているのが分かった。
謎も多い渡瀬恒彦の元の嫁・大原麗子のエピソードもまた非常に考えさせられる内容であるのは間違いない。