下重暁子は現代の女性の生き方を変えた作家といってもいい。
そんな下重は故・野際陽子と親しい関係であり、若い頃は非常に親しき関係にあったという。
下重暁子と野際陽子の若い頃の逸話と画像を供に紐解いてみよう。
下重暁子について
【名前】 下重暁子(しもじゅうあきこ)
【生年月日】 1936年5月29日
【星座】 ふたご座
【年齢】 81歳
【出身地】 栃木県宇都宮市
【血液型】 B型
【学歴】 早稲田大学教育学部国語国文学科
【所属】 元NHKアナウンサー、元財団法人JKA会長
【デビュー】 1959年
下重暁子は大学を卒業後、NHKに入局し、故・野際陽子と供に同局の人気アナウンサーとなった。
NHKを脱局し、フリーアナウンサーとなった後の1967年頃から、作家・評論なども行うようになり活動する土台を変換する。
その後、多くの著書を発刊し、2015年には問題作【家族という病】を発刊し、50万部のベストセラーを誇ったが多くの批判を浴びた。
別の活動では、2005年には日本自転車振興会の会長に就任し、2008年には財団法人JKAの初代会長に就任した。
下重暁子と野際陽子の関係とは?
下重暁子と野際陽子はNHKのアナウンサー時代には非常に仲の良い関係であった。
野際陽子の方が学年で1つ年上であり、先輩の立場にあたるが、名古屋の寮生活時代のころは、隣同士であった。
頻繁に生活を供にすることが多く、どこか先輩後輩の関係を超えた付き合い方が目立っていたようだ。
下重暁子と野際陽子は当時、周囲から【荒田のオロチ】と呼ばれるほど、毎晩の様に酒を飲み歩いていた。
何故、荒田のオロチなのかといえば、2人が住んでいたNHKの寮の名前が【荒田寮】という名前からであった為。
当時はまだ男性が立場的に優位に立っている時代であったが、男性顔負けのそうした私生活は非常に奇異にうつったようだ。
が、この頃の野際陽子との関係が、後の作家活動に重要な影響を与えていたと思われる。
下重暁子と野際陽子の若い頃の画像と逸話
下重暁子と野際陽子が若い頃に非常に仲の良い関係であったが、そんな2人の画像は現存しているものでは上の一枚しか見つからなかった。
2人とも当時、NHKの美人アナウンサーとして人気を誇っていたわけだが、さすがに両者ともに美しい。
そんな2人が毎晩、酒を飲み歩いていたというのだから、非常に目立ったのは想像つく。
かつて下重暁子が野際陽子が亡くなった際にテレビに登場。
その時に若い頃の野際陽子を振り返った際、非常に笑える逸話を語っていた。
2人で毎晩のように飲んでいた。
当時の寮は荒田寮といったのですが、2人は『荒田のオロチ』と呼ばれるぐらいお酒が強かった。
仕事に影響したことは一度もありません。それは野際さんから学んだ。絶対仕事に影響させちゃいけないって。
お給料前に泥棒が入ってね。野際さんもお金がなくて、泥棒に『お願いだから食べられなくなっちゃうからお釣り頂戴』って。
泥棒にお釣りって言ったのは野際さんが初めてじゃないかしら。
引用:TBS【白熱ライブ ビビット】より
更にこれを聞いた元NHKの後輩にあたる堀尾正明も続いて
ぼくが聞いたのは、泥棒は息子にシャツを200円で買いたかったと。
なら1000円渡すから800円お釣り頂戴って。
お釣りはあとで郵便箱に入れてって(言った)。
でもテレビで何度も呼びかけたけど(お釣りは)返って来なかったらしいです。
引用:TBS【白熱ライブ ビビット】より
まさに型破りな若い頃のエピソードだが、そうした考え方が後の活躍を生んだのだと思うと、非常に感慨深い。
その後、下重暁子もNHKを辞め、フリーとなり作家へ転身したのち、それまでの社会の常識を打ち砕くかのような反骨のロジックを表現することになる。
こんな若い頃の野際陽子との関係が、それに影響を与えていたようにも思える。
おわりに
下重暁子と野際陽子の若い頃の逸話や画像などについて、紐解いてみた。
当時の社会背景を考えてみても、彼女たちがどれほど奇抜な存在であったかが分かる。
が、供に美しい女性であったので、それが更に二人の魅力を引き出す要素になっていたのかも知れないが。