高井研一郎と言えば、映画【男はつらいよ】を漫画にした人間として有名だ。
高井研一郎の死因は肺炎であり、御年79歳の漫画家はこの度、大往生とあいなった。
生前の高井研一郎は、数回の生前葬を行っているのだとか?
詳しく見ていこう。
高井研一郎とは?
高井研一郎は1937年7月18日に長崎県佐世保市でうまれた。
生まれは佐世保だが父が上海で書店を営んでいる事業主だった為に、幼少のころは上海で育ったという。
父の経営する書店で本を読み漁った結果、漫画の面白さに惹かれ、高井研一郎は自らも漫画を描く様になる。
漫画雑誌に自作を投稿し続ける中で、日本を代表する漫画家である石ノ森章太郎や赤塚不二夫と親交を深める様になる。
これが切欠で漫画家仲間との集いが出来て、1956年に【リコちゃん】でデビューし、手塚治虫のアシスタントとして現場を経験。
その後は既に大成していた赤塚不二夫の仕事の助っ人などをし、1986年に高井の代表作である【総務部総務課山口六平太】をビックコミックから連載開始。
その後は大人気映画【男はつらいよ】の漫画化にチャレンジし、これは後にアニメにもなり、好評を博した。
高井研一郎の死去と死因
東京都調布市を根城にして、60年間の漫画家人生を歩んできた高井研一郎。
2016年11月14日に死去したが、以前から体長不良により調布市内の病院に入院していたという。
しかし、死去する数日前までは漫画のネーム切りをしていたそうで、まだまだ漫画の執筆を続けようとしていた気概が伺える。
残念ながら肺炎にかかっており、それが死因となってお亡くなりになったそうだ。
しかし、高井研一郎は生前から、亡くなることを意識していたかのような行動が目立つ。
漫画家・高井研一郎の特徴として挙げられるのは、生前葬を頻繁に行っていたという事実だ。
高井研一郎の生前葬とは?
高井研一郎は生前葬をこれまでに3度行っているという。
生前葬を行った場所は高井の事務所兼自宅マンションの2階だったそうだ。
一番、新しい高井の生前葬は2013年の夏に行われたものであり、そこには男はつらいよの山田洋次監督夫妻や、大手出版社の編集者などがいたそうだ。
そして、大御所の漫画家も多数、高井の生前葬に列席していたものの、厳粛な空気なものではなく、もはやその場は飲み会の様な雰囲気で行われたのだとか?
高井研一郎本人は漫画を描くことも好きだったが、それ以上に友人と酒を飲み交わすことが大好きだったという。
きっと、死去した今、天国でもニコニコ微笑みながら、酒を飲んでいるのだろう。
まとめ
高井研一郎の代表作【総務部総務課山口六平太】はサラリーマンの応援歌と評されるほど、生々しい描写が人気だったもので、多くの成人にうけたものだ。
現在に至るまで単行本の発行部数は1100万部を超えるものであり、未だにコアなファンが多い漫画としても知られている。
そんな我々、社会人を応援するかの様な漫画を描き続けてくれた高井研一郎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。