伊達公子が復帰した背景には離婚があったことは間違いないだろう。
ドイツのレーサー・ミヒャエル・クルムとの間には、子供が出来ずに残されたのはクルムへの想いがつまった経営するパン屋だ。
伊達公子の離婚の背景にあった理由などを見ていこう。
伊達公子について
【名前】 伊達公子(だてきみこ)
【生年月日】 1970年9月28日
【星座】 てんびん座
【年齢】 46歳
【出身地】 京都府京都市上京区
【血液型】 O型
【学歴】 園田学園高等学校
【所属】 エステティックTBC
【デビュー】 1989年
伊達公子は日本の女子テニスプレイヤーとして、パイオニア的な存在であったといえよう。
6歳の頃に両親の影響でテニスに興味を持ち始めた伊達公子は、テニスのレッスンを本格的に受け始めて、中学生の頃には滋賀県テニス選手権で優勝。
高校時代にはテニスの名門として知られる園田学園女子高等学校に進学し、1988年のインターハイで3冠を奪取。
卒業後にはプロテニスプレイヤーとなり、【ライジング・ショット】の名手として大活躍した。
アジア出身の女子テニスプレイヤーとして、史上初のシングルスの世界ランキングトップ10に入り、4大大会でベスト8入りを6回果たしている。
1996年にプロを引退し、2001年に結婚。
2008年には現役復帰を37歳で果たしており、復帰の理由は若い選手に刺激を与える為としている。
2016年に左膝の故障により、戦線を離脱しているが、2017年5月1日に公式戦復帰の意向を示した。
伊達公子の離婚の理由は子供?
伊達公子はドイツのレーシングドライバー・ミヒャエル・クルムと2001年12月1日に結婚した。
15年の結婚生活の後に離婚したのだが、2人の間に子供は出来なかったようだ。
離婚の原因には様々な噂があったようで、クルムの浮気が理由であるとか、伊達公子が子供嫌いであるなどと言われていたようだ。
かつて伊達公子はクルムとの間に子供が出来ない理由について、自身が不妊であったことを告白している。
不妊治療を長年、行っていた様だが結局、子供には恵まれずに、これらが切欠で現役復帰を決めたとも言われている。
離婚の真相は噂とは違っており、実際は現役復帰した伊達公子とクルムとの間に、すれ違いが生じたことが原因であるのだ。
実際のところは、現在でも夫婦生活はないものの、良好な関係が続いているのだと言う。
パン屋の名前はフラウクルム
伊達公子は2016年8月4日に恵比寿にパン屋を開業している。
行き方を求めるスポーツファンも多いようなので、マップを掲載している。
伊達公子のプロデュースの元に作られた店内やメニューなどは、恵比寿周辺の人間にも好評の様である。
値段も実際には高くはなく、その殆どがワンコイン以下で嗜めるもののようだ。
伊達公子はかつて店の名前と旦那のクルムとは関係がないとしている。
しかし、【フラウクルム-FRAU KRUMM-】というものを、日本語訳にすると、クルム夫人ということになるのだ。
離婚したとはいえ、やはり特別な想いがあるようである。
おわりに
伊達公子が公式戦に復帰したということで、注目を集めている現在。
離婚を乗り越えながら、元旦那のクルムの想いがつまったパン屋の運営をしながらも、プロテニスプレイヤーとして生きているその姿には頭が下がる。
子供がもしも出来ていれば、おそらくは現役復帰は無かったと感じられるが、今更言っても仕方がないことだ。
どこまで今後、活躍できるのかに注目したいところだ。