鈴木明子が2017年8月8日のNTVの人気テレビ番組【ザ!世界仰天ニュース】に登場。
かつて拒食症になった過去を明らかにし、凄まじい苦しみにもがき苦しんだことを明かす。
現在は元同級生と結婚し、幸せな家庭を築いているのだが、ここでは拒食症の過去と結婚相手について見ていこう。
鈴木明子について
【名前】 鈴木明子(すずきあきこ)
【生年月日】 1985年3月28日
【星座】 おひつじ座
【年齢】 32歳
【出身地】 愛知県豊橋市
【血液型】 A型
【学歴】 東北福祉大学社会福祉部
【所属】 邦和スポーツランド
【デビュー】 2009年
鈴木明子は和食割烹料理店を営む両親の元で育った。
6歳の頃にスケートを始め、ジュニアの下のクラス・ノービス時代に既に頭角を現し始めた。
中学生の時に出場した第1回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会では3位に入賞。
高校生になってからも全国大会では好成績を残し、ジュニア特別強化選手に指定されて、ジュニアSBC杯で優勝する。
2003年春に大学入学後は、高校の頃からコーチとして指導を受けていた長久保氏の自宅に下宿しながらの指導を受けていた。
が、親から離れ、遠い東北の地での生活により摂食障害になってしまい、2年間、競技が出来ない状態に陥る。
2005年に復帰した時には強化指定を解除されていたが、翌シーズンには再び指定され、2006~2007のユニバーシアード冬季大会で優勝。
大学を卒業し、社会人となってからも長久保コーチの指導のもとで快進撃を続け、27歳の時には世界選手権で銅メダルを奪取し、28歳の時に全日本選手権初優勝を飾った。
29歳になり世界選手権を出場を最後に引退したが、世界選手権総合6位であり、フィギュアスケートの世界選手権入賞は日本人最年長記録であった。
正に有終の美を飾っての引退と言えるだろう。
現在は振付師及び日本オリンピック委員会のアスリート委員として活動している。
鈴木明子が拒食症になり32kgまで・・・
鈴木明子の拒食症自体の画像が残っている。
言葉は不適切ではあるが、とてもスポーツ選手の容姿には見えずに、どこか廃人の印象すら漂う。
2003年3月、大学入学前にクロアチアで開催された国際大会に出場した際に、ある過ちをおかしてしまった。
クロアチア大会を終えた後に、鈴木明子は緊張感のほぐれから、数年ぶりにステーキを食したのだ。
これが何故、過ちなのかといえば、フィギュアスケート選手は体重が重くなると、競技のキレが悪くなり、足腰にも負担がかかるために、ステーキや脂分が多い食物は極力、食べなかった。
両親も娘の鈴木明子の体重や選手としての動きを維持させるために、殆ど肉を食べさせなかった。
数年ぶりにステーキを食した鈴木明子は、数年ぶりに食したステーキに自身の胃が拒否反応を起こし、凄まじい腹痛と嘔吐感を襲ったという。
トイレにいき戻したわけだが、胃液ごと全部、内容物が出てしまう程、酷い嘔吐であったという。
それ以来、嘔吐感と倦怠感が抜け切れずに、それに加えて食品を見るとステーキを思い出し、数日間、何も喉を通らなかった。
そんな苦しい日々のあと、体重をはかると、以前、48kgから下がらなかった体重が減少していた。
体重が減らないことにストレスを常に感じていた鈴木明子は、ステーキのトラウマを利用し食事を摂らない生活を送るようになっていた。
大学入学後にも、その様な生活を続けたのち、既に食べ物そのものを見るだけで、気持ちが悪い体質になってしまっていた。
その頃には40㎏まで体重がおち、競技に影響が出る始末に陥っていた。
愛知の実家へ帰って自宅療養すれば、これを改善出来ると感じて、一旦、帰郷。
だが、帰郷しても一向に症状は一向に改善されずに、むしろ空腹感すら無い状態になっており、体重は35㎏を切る状態。
精神科へ行き、診断を受けた結果は、本人と周囲の予想通り【拒食症】であった。
鈴木明子が拒食症を克服したのは母親のおかげ!
病院で医師から拒食症の為の薬を処方されたが、加えて入院という選択もあることを告げられる。
医師や両親は早く立ち直って欲しいが故に、入院を勧めたそうだが、鈴木明子は入院を拒み、自宅で治すことを決意した。
食事は相変わらず摂れない日々が続いたが、大量に処方された薬を服用して自身の拒食症と戦う日々が続いた。
すぐには効果は表れずに、6月末にはなんと32㎏にまで体重は落ちた。
さすがに7月に入り、このままでは命の危険もあると感じた母親と医師は強く入院を勧めたものの、鈴木明子は入院を拒み続けたという。
実は精神科の医師の診断の中には、拒食症の真の原因は母親との関係にあると見ていた。
入院を強く拒む鈴木明子に対して、母親はその頑なに入院を拒む娘を素直に受け入れて、こう助言したという。
まず食べられるものから、食べよう・・・
この一言が鈴木明子の心を動かし、次第に少しづつ食欲がわいてきたという。
一人娘の鈴木明子を厳しく育てていたのは母親であり、母の理想の娘になりたいという強い気持ちが、重圧としてのしかかっていた。
そんな母親が拒食症で絶望な自分を受け容れてくれたと感じたことから、一気に重圧から解放されて、本来の自分が戻ってきたのだった。
次第に心身共に元通りになっていき、10月には大学に戻ることが出来たが、まだ油断を許さない状態であった。
ずっと心配していた長久保コーチも、鈴木明子を信じて、常に励ましてくれていたという。
そして病院で栄養指導を学び、11月にスケートに復帰出来るようになったのだ。
鈴木明子の拒食症の全貌がテレビ放送に!
並みのスポーツ選手ならば、拒食症になり、絶望感に支配された時には、再びストイックさが必要とされるスケートに復帰出来ずに、そのまま消えていたであろう。
しかし、そこには人一倍負けず嫌いの怪物的な精神力の持ち主である鈴木明子と、それを支え続けた両親や長久保コーチの尽力があったことは想像に難くない。
そんな鈴木明子の地獄の拒食症時代は、2017年8月8日に放送される日本テレビの【ザ!世界仰天ニュース 3時間スペシャル】で具体的に公開される。
現在、公になっていない事実も、明かされることになると思うので、非常に必見である。
鈴木明子は2017年に結婚していた!
地獄の拒食症時代を乗り越えた鈴木明子は、その後、メダリストにまで上り詰めて、有終の美を飾る引退をして現役から退いた。
現在はスポーツ選手を裏から支える立場で、日本のスケート界に貢献しているが、2016年6月に婚約を発表。
実は結婚した男性は何と地元の愛知で両親が営む店の常連客であった人物である。
そして、何とこの男性は鈴木明子の小学校時代の同級生であったのだ。
2015年の秋頃、鈴木明子が両親の店を訪れた際に偶然に後の結婚相手と顔を合わせた。
約18年ぶりに再会した直後、意気投合して交際し、そのまま婚約と相成ったのだ。
そして2017年2月1日に結婚し、女性としての幸せも手に入れたのだ。
鈴木明子の結婚相手の画像はどこにもない
鈴木明子の結婚相手である男性は一般男性である為に、顔が分かる写真画像などは流布していないのが現状だ。
職業は外資系企業に勤める会社員ということしか詳細は明らかになっていない。
だが、鈴木明子が拒食症などの凄まじい過去を語るテレビ番組内で、結婚相手の夫も登場する可能性は充分に期待できる。
やはり、大活躍し伝説レベルにまで己を高めた人間には、壮絶な過去があるものだ。
成功者は一様に地獄を経験しているという格言もあったりするが、鈴木明子も確かにそんな時期があったことが分かるのだ。