市川海老蔵の小林麻央が死去した際の、号泣会見は多くの人々の涙を誘った。
だが、報道でもお分かりの様に、成田屋の伝統を受け継ぐと言う重責が待っている。
ここでは成田屋という一般には少々、敷居が高いその概要について紐解いてみよう。
市川海老蔵と成田屋について
成田屋とは歌舞伎役者の屋号である。
伝統ある歌舞伎において、最初の屋号であるのが成田屋であり、市川海老蔵の祖先にあたる初代・市川團十郎が師父にあたる。
市川海老蔵の父である堀越夏雄は12代目市川團十郎であり、とても由緒正しい家系である。
ちなみに歌舞伎の屋号というと、他にも中村屋(中村勘九郎など)や、高麗屋(松本幸四郎など)があり、他106もの屋号があるのだ。
歌舞伎の世界も非常に分派などが数百年前からあったことが分かる。
市川海老蔵の成田屋の重責とは?
市川海老蔵はほぼ確実に後に13代・市川團十郎を襲名することになる。
そうなると、成田屋の屋号を冠して歌舞伎を背負っていくということに等しい。
350年以上もの歴史、歌舞伎の屋号の始祖といってもいい成田屋を継ぐということに他ならない為に、これが市川海老蔵に今後、課せられた重責というものであるのだ。
市川團十郎という名前は、歌舞伎俳優の中でも最高位にあたるとされており、その世界では神の名前に匹敵する。
小林麻央が旅立たれても、それらの重責を抱える身になるので、とても市川海老蔵には安堵の人生はないと言えよう。
小林麻央の死去後でさえ市川海老蔵には苦難の道が・・・
小林麻央が死去したことは、市川海老蔵やその親族は元より日本中が悲しみに包まれた。
しかし、現実的には小林麻央の闘病生活によって抱えていた様々な負担は解消されたといってもいい。
あくまでこれは少々、適切ではないが事実である。
だが、これまで歌舞伎役者もこなして、家庭の父親でもあり、家柄を継ぐ者であったとしても、更に襲名すれば成田屋という巨大な重圧を抱えることになる。
それは生まれた直後から定められた宿命であり、その道で生きている市川海老蔵にとっては避けられないことであり、まだまだ苦難の道があるといえよう。
だからこぞ、記者会見上で涙にくれる市川海老蔵は
今後背負っていくこと、やらなくてはいけないこと
と、いう言葉を漏らしたのだ。
重々、悲しみに暮れている暇はなく、すでに未来のことを考えている市川海老蔵には、過去の不良親父という面影は微塵もないと言えよう。
おわりに
市川海老蔵が成田屋の重責を担う可能性は極めて高く、それは確実視されている。
小林麻央の死去でとてつもない悲しみで、心身ともに疲労困憊な状態であるが、大粒の涙を流した先に見えているものがあったといえよう。
それは、自分自身の運命を全て受け容れて、残された愛する家族を守ろうとする一人の強靭な男性が創り出す未来そのものである。
そう感じずにはいられない。