松方弘樹が死去したという報道は号外となり、全国にとてつもない速さで知れ渡った。
現在に至るまでは脳リンパ腫の闘病をしており、その余命が危ぶまれていたが、残念ながら逝った。
松方弘樹が闘病に至るまでの経緯と現在までをまとめてみよう。
松方弘樹について
【名前】 松方弘樹(まつかたひろき)
【本名】 目黒浩樹(めぐろこうじゅ)
【生年月日】 1942年7月23日
【享年】 74歳
【星座】 しし座
【出身地】 東京都北区(旧王子区)
【血液型】 A型
【所属】 株式会社MARE(マーレ)
【デビュー】 1960年・映画【十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ】
父は時代劇俳優の近衛十四郎であり、母は女優の水川八重子。
両親が俳優だったことに影響されながらも、自身は歌手を目指していたが、五木ひろしの高い才能を垣間見て劣等感などを味わい、諦めて俳優の道へ入った。
名優・北大路欣也のライバルとして注目を浴びながらも、自身はフリーで俳優活動をしその演技は認められるも、トラブルを抱える俳優としても知られている。
そんな中、東映の映画俳優として、数多くの映画に出演し、後には東映実録シリーズの主演俳優の一人として、大人気スターに躍り出た。
1990年以降はバラエティ番組のレギュラー出演者も務めるようになり、以降はプライベートの釣りを取り上げたドキュメンタリー番組も制作されたりして、タレントとしても輝いていた。
2016年2月23日に、出演予定であったコンサートツアーを、脳リンパ腫の為に長期療養の為に休止。
2017年1月21日に死去した。
松方弘樹の現在に至るまでの余命が危ぶまれていた闘病生活
松方弘樹は2017年を迎えたときは、既に声も出ない状態であったという。
2016年2月23日に長期休養を公言した松方弘樹は、当初は体調不良の為として関係者各位に活動の予定のキャンセルをしていた。
が、3月に脳リンパ腫と診断されたことを受けて、長い闘病生活を送ることになったが、これが凄まじく過酷なものだった。
脳リンパ腫の病状の詳しい解説は後述するとして、腫瘍は脳内の深くに病巣を作っており、除去手術を行うことが難しい状態だった。
それにより、放射線治療と抗がん剤治療をメインに取り組んできていたが、その度に脳梗塞を併発。
主に抗がん剤の副作用によるものであり、2016年末には訪れた見舞い客が誰なのかも分からない状態になった。
自分の身体も一人では動かせなくなり、ベッドから起き上がることすら出来なくなったという。
移動は全て車椅子で行われており、その余命は関係者は元よりファンや一般人からも危ぶまれていた。
その傍には事実婚の山本万里子が必死に看病していたものの、既に松方弘樹には限界が差し掛かっていた様だった。
松方弘樹の脳リンパ腫について
脳リンパ腫とは、脳の奥深くに出来るがん腫瘍であり、発症率は極めて低い稀有な病気である。
その発症確率は何と10万人に1人の確率ともいわれており、発症した場合は身体の麻痺や視力障害、認知能力の激減がある。
また、激しい頭痛と嘔吐感に苛まれて、非常に苦しみを伴う闘病生活を余儀なくされる。
頭痛や嘔吐感の原因としては、脳内の深部に出来た腫瘍が徐々に大きくなることで、脳内の様々な神経や血管を圧迫することで起きる。
そして、脳の奥深くに患部があるために、手術で除去出来ないとされる。
正に脳リンパ腫にかかってしまったら、その余命は遅かれ早かれ時間の問題というべき、凄まじい病の一つなのだ。
おわりに
松方弘樹は現在までに様々な武勇伝や女性遍歴などで、お茶の間を賑わしてきた大人気スターだった。
が、その荒々しいイメージからは想像も出来ない様子が、脳リンパ腫によって引き起こされて、悪夢ともいえる闘病生活を強いられた。
その余命を何とか伸ばそうとする治療も虚しく、死去してしまったことは、芸能界全体に激震を及ぼすことになるだろう。
松方弘樹のご冥福を心からお祈り申し上げます。