タレント・阿川佐和子さんの父の弘之さんは著名な小説家として知られています。
去年(2015年)8月3日にお亡くなりになられましたが、実はとても凄いお方だったんです。
エッセイストとしても実績を上げている娘の佐和子さんが多大な影響を受けていらっしゃった父・弘之さんはどの様な人物だったのでしょうか?
阿川佐和子の父・阿川弘之
阿川弘之さんは作家になる以前は日本海軍に所属していた兵士だったのです。
当時の日本は軍国主義であり、現在の日本からは想像もつかないほどの環境だったわけです。
そんな中で弘之さんは割と恵まれた家庭に生まれた為に、貧困を味わう事も無く学業を重ねて日本の為に働く兵士として社会に送り出されます。
第二次世界大戦が終わり、弘之さんが生まれ育った広島の地は核爆弾により、何も無い更地になっていました。
身体に障害を持った父と母と甥との4人で貧しい暮らしを余儀なくされます。
志賀直哉を師匠として小説家の道へ
日本の小説家の多くに影響を与えた志賀直哉さんの弟子になった弘之さん。
弟子になり、小説を書き続け著作を積み上げていきました。
海軍にいた経験を活かして、主に作風は軍国日本を表現するものであり、シリアスな内容ばかりでした。
ですが、志賀直哉さんの最後の内弟子として、専門家から評価を受けて、後継者と目されたのです。
阿川弘之さんが書いた【春の城】や【雲の墓標】などは、学校の教材にも用いられるほどの小説ですね。
作家となった辺りで長女の佐和子さんが誕生して、厳しい教育を彼女に施したそうで、佐和子さんは現在も父・弘之さんの話題を好んで話すのは、それだけ影響が強かったからでしょう。
阿川弘之の受賞歴
阿川弘之さんは著作や本人自体に国から様々な賞を頂いている文化人です。
- 1952年 『春の城』で第4回読売文学賞[小説賞]
- 1960年 『なかよし特急』で第7回サンケイ児童出版文化賞
- 1966年 『山本五十六』で第13回新潮社文学賞
- 1979年 第35回恩賜賞・日本藝術院賞[文芸/小説・戯曲]
- 1983年 第30回交通文化賞
- 1987年 『井上成美』で第19回日本文学大賞[学芸部門]
- 1993年 文化功労者
- 1994年 『志賀直哉』で野間文芸賞、毎日出版文化賞
- 1999年 文化勲章、第3回海洋文学大賞特別賞、広島県名誉県民
- 2001年 『食味風々録』で第53回読売文学賞[随筆・紀行賞]
- 2007年 第55回菊池寛賞
個人の作家がこれだけの賞をもらうなんて、ちょっと考えられない位の功績ですよね。
それだけ、阿川弘之さんが世に送り出した著作が日本の名だたる文化人に影響を与えたことを裏付けるものでありますね。
阿川弘之が嫌いな人物
阿川佐和子さんが嫌いな人として公になっている人物は別記事に書いています。
それは日本の小説家としては最も成功した一人に挙げられる方。
大江健三郎さんであり、作家の席で顔を合わせたら、お互いにいがみ合う位の仲の悪さだったようです。
阿川佐和子の父・阿川弘之のまとめ
阿川弘之さんの家系は元々は商売人であり、弘之さんが戦争を体験した後に文学という分野に踊り出しました。
それが切欠で長女である佐和子さんは現在はタレントでも売れっ子ですが、エッセイストとして成功を収めています。
そして長男であり佐和子さんの兄である阿川尚之さんもエッセイストとして活躍しておられます。(本業は弁護士)
阿川佐和子さんの著作は世の主婦を中心に大きな評価を得ていますが、間違いなく弘之さんの才能を受け継いでいると感じます。
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