植松聖の死刑はいつ?という声が、この名前が出る度に囁かれている。

 

それもその筈であり、戦後稀に見る凶悪犯罪者であり、犯行後、逮捕される様子も非常にふてぶてしかった。

 

だが、死刑確定はあくまで一般人の我々の主観であり、実際にはその確率は低いという声も挙がっている。

 

そもそも公判すら2017年中に行われるかも怪しいが、これらの問題を考察してみようとおもう。

 

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植松聖の死刑はいつ?という声が多いが・・・

植松聖の死刑がいつになるかの答えは、日本中の誰もがその答えは現状出せない状態である。

 

裁判の開始時期の目途も経っておらずに、初公判が行われるのも、報道メディアの推測によると2018年以降になるとされているからだ。

 

正直、犯行の内容や逮捕後の植松聖のとんでもない態度を見る限り、死刑は免れないと感じるのは常識人であるのであれば、普通の感情である。

 

だが、裁判にかけられて判決が出ても、日本の現状の法律では、もしかしたら死刑にすることは出来ないとも囁かれている。

 

植松聖が死刑になる確率は低い?

本来、これだけの犯罪をおかしたならば、死刑以外の極刑はありえないだろう。

 

しかし、植松聖は実は現行犯逮捕ではなく、自首をしているようだ。

 

警察には事件当時、園の人間が通報しているものの、犯人が特定される前に植松聖は自らが犯人として警察に自らその身をゆだねた。

 

刑法42条1項では罪を犯した人間が捜査機関に発覚する前に自首をしたときは、その刑を軽減することができるというものがある。

 

実際にはこれらを裁判でどう見るのかが焦点であるが、自首と認められた場合は刑法に照らし合わせて、罪を軽減させるほかはない。

 

植松聖の死刑確定が薄いというもう一つの点

更には、日本の刑法で問題視されているあの39条が植松聖に適用される可能性も高いと言われている。

 

39条はご存知のとおり、心神喪失者の犯罪行為は罰しない、2項では心神耗弱者の行為は、その刑を減刑するとなっている。

 

植松聖は短時間に多くの人間の命を奪っていることから、その精神状態は正気ではないのは明白。

 

2017年2月には拘置所内での奇異な行動などにより、”『他害の恐れがある』”として、処置入院が決定し適用された。

 

犯行当時は決して植松聖は錯乱していたわけでもなく、理性的に行っていたようだが、心神耗弱が適用される可能性は充分にあるという意見もある。

 

心神喪失な状態では、理性的に犯行を行うことは出来ないので、無罪になることはさすがにありえないと思われる。

 

もちろん、植松聖が裁判に望む際、弁護士もこれを主張し、はばからないと考えられる。

 

当然、39が適用されるのならば、植松聖の死刑を日本中の人間が望んでいたとしても、死刑にはならないというわけだ。

 

だが、心神耗弱が例え裁判で認められたにしても、危険人物であることには変わりが無く、一生、現社会に出てくることは叶わないと感じる。

 

当然、この事件に関心があり、憤りを隠せない人間の多くは、税金を使って植松聖の様な人間を何故、生かし続けるのか?という声に満ち溢れることになる。

 

実際にはどうなるかは誰も現在では分からない。

 

だが、39条の見直しは以前から常々、言われていることではあるが、法律というものが絶対的なものである。

 

おわりに

植松聖のおかした犯行の内容などを見れば、死刑以外の極刑はありえないと誰もが感じる。

 

だが、だからこそまともな神経ではないという証明にもなるであろうし、心情はどうあれ裁判がはじまれば弁護士はそれを突かないわけにはいかないであろう。

 

個人的には何の罪もない弱い人間の命を沢山、奪った植松聖は死刑以外にありえないとは思うが、絶対的である法律がある異常は、その確率は低いという見解も成り立ってしまうわけだ。

 

だが、何度も言うが、裁判もはじまっていない現在の段階ではあくまで憶測でしか誰も論じ合えないわけである。

 

来年以降の動き次第では、こうした考察や可能性も変わってくる可能性もあるわけだから・・・。

 

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