津川雅彦が死去したという報道が現在、飛び交っている。

 

実は津川雅彦自身、その命が危ぶまれており、死去がいつか等という一部のブロガーなどに囁かれていたのだ。

 

ここでは現在、津川雅彦の冥福を祈るとともに、その経歴やある明かされた真実などを紐解いてみようと思う。

 

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津川雅彦について


【名前】 津川雅彦(つがわまさひこ)

【本名】 加藤正彦(かとうまさひこ)

【生年月日】 1940年1月2日

【星座】 やぎ座

【享年】 78歳

【出身地】 京都府京都市中京区

【血液型】 O型

【学歴】 早稲田大学高等学院

【所属】 グランパパプロダクション

【デビュー】 1945年

 

津川雅彦は育った環境が芸能を生業とする一族であった為に、子役として5歳の頃からスクリーンデビューを果たしていた。

 

兄は2011年に死去した長門裕之。

 

16歳の頃、現在でも普及の名作とされる日活映画【狂った果実】でデビュー。

 

この際、主演を務めた石原裕次郎の弟役を探していた石原慎太郎が、津川雅彦に一目惚れをして強引にキャスティングしたという背景があった。

 

映画がヒットしたことで、すぐにスターダムにのし上がり、石原裕次郎と供に日活の看板役者の一人に躍り出た。

 

そんななか松竹に移籍するが低迷路線を歩むことになり、1969年にデヴィ夫人と不倫スキャンダルを起こしたことから干されてしまうことになる。

 

1972年に低迷していた津川雅彦を悪役として起用したのが、必殺シリーズであり、ここで再びブレイクを果たすことになる。

 

その活躍を踏まえて1982年には第24回ブルーリボン助演男優賞を受賞し、以後、伊丹十三作品に起用されて、名俳優の地位を確立していった。

 

2014年には旭日小綬章を受章。

 

津川雅彦が死去し明かされる真実

津川雅彦は2018年8月4日は既に死去していたという。

 

死因は心不全であり、7日未明に報道機関によって報道されたことで一気に情報が日本中に知れ渡ることになった。

 

津川雅彦は今年4月に愛妻の朝丘雪路を失っているが、その際、肺炎を患いながらも酸素チューブを付けた状態でマスコミの取材に気丈に対応していた。

 

朝丘雪路とは人気が低迷し、必殺シリーズでブレイクを果たした直後に知り合い、1973年に結婚している。

 

芸能界で並ぶものがないほどのおしどり夫婦として知られていた。

 

だが、その夫婦生活は苦難に満ち溢れていたことが明らかになっている。

 

津川雅彦と朝丘雪路の間には1974年に娘ができたが、それが切欠で1978年にオモチャ会社【ブランパパ】を設立し、同名の芸能事務所を開いて代表を兼任する。

 

ところが、2008年に玩具ビジネスが失敗し、多額の負債をかかえた津川雅彦は、朝丘雪路の自宅を売却し返済にあてたというエピソードを後に語っている。

 

内助の功によって窮地を救われた津川雅彦は、朝丘雪路に今年4月、先立たれたことによって、おそらくは自身も生きる張りを失っていたのではないだろうか?

 

津川雅彦の死去に現在、多くの声が・・・

津川雅彦の死去を受けて、深夜であるにも関わらずに多くのユーザーがその死を偲んでいる。

津川雅彦の死去を偲ぶファンの声は枚挙に暇がない程に、ネットを中心に悲痛なメッセージが上がっているが、それもこれも津川雅彦がそれだけ人々の心に深く浸透していたことの表れでもあるといっても過言ではない。

 

おわりに

津川雅彦の死去がニュース速報になって、報じられたのは2018年8月7日の23時過ぎであった。

 

現在はその突然の訃報に、多くの芸能通やメディアが動揺を隠し切れない様子であるのが伺える。

 

だが、現在はただ津川雅彦のご冥福を、心からお祈り申し上げます。

 

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