富岡長子さんと弟の富岡茂永との骨肉の争いは、両者ともに命を落とすという最悪な事件が起きた。

 

この骨肉の争いを起こした当事者たちの父親は長年、富岡八幡宮の宮司としてトップにいた富岡興永、その人である。

 

父親が富岡八幡宮を自分のものとするために不正行為が行われていたことを示すある事実が報じられていたのだった。

 

そして、富岡長子さんもかつてフライデーされていたというが果たして・・・。

 

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富岡長子の父親の不正行為とは?

富岡長子の父親の名前は富岡興永といい、昭和から平成6年にかけて、富岡八幡宮の宮司に就いていた。

 

宮司とは事実上、神社のトップであり神職や巫女、氏子をまとめる神社の主である。

 

神社の主であったとしても、由緒ある富岡八幡宮は神道の象徴の一つといえる【八百万の神】を祭った社である為に、それは個人で独占できるものではない。

 

しかし、富岡長子の父親は長年、宮司として働いていた富岡八幡宮を富岡家のものとする為に、宗教法人富岡八幡宮の借地権120坪を手にする為に、捏造行為を行ったという。

 

本来、神社などは神社本庁が管理しているものであり、様式美に沿った形で伝統にのっとり品格が備わった人間に継がれていく。

 

富岡興永は自身の富岡家の家柄などの歴史を偽り、所有している不動産なども隠して、当時、禰宜をしていたM氏という人間に神社本庁の責任役員に見せる合意文書の捏造を図ったという。

 

富岡長子の父親・富岡興永の顔写真画像

清貧が何よりも美しいと言われる日本の伝統において、それを教え広める神社の宮司が資産家であってはならないということであろう。

 

禰宜をしていたM氏は富岡興永の命を受けて、捏造した合意文書を当時、責任役員となっている4名の自宅を訪問し、署名と捺印を集めさせたというのだ。

 

その後に富岡興永は自身の宮司の職と搾取した富岡八幡宮の借地権を富岡長子と妹に相続させて、自らは表から退いている。

 

そして、富岡長子のブログから判断すると、父親の富岡興永は2014年頃に他界していると思われる。

 

これらの不正行為は後に富岡八幡宮の関係者が週刊誌にリークして発覚。

 

更には宮司代理として父親の後を継いだ富岡長子の凄まじい金満ぶりが報道されたのだった。

 

富岡長子のフライデーの内容とは?

富岡長子は父親との不正行為を暴かれたあとも、何とフライデーされているのだ。

 

神社本庁から正式な宮司として認められない状態であり、宮司不在という異例の状態であった富岡八幡宮。

 

しかし、富岡八幡宮は代理宮司として富岡長子が事実上のトップとして君臨していた。

 

2012年8月に天皇皇后両陛下が富岡八幡宮を来訪した際、記念石碑を建造。

 

そこには本来、正式な宮司ではないにも関わらずに富岡長子の名前が宮司として書かれたが、これが職名を偽ってるとして批判を浴びた。

 

そして、その後に石碑を確認すると、宮司の文字は消されていたという。

 

実はこの裏では全国の神社にこの石碑のことを綴った怪文書が流れていたという。

 

富岡長子と弟のトラブルもフライデーに既に・・・

当時のフライデーが報じた内容によると、既に犯人として名前が挙がり、供に死亡した富岡茂永とのトラブルも報じていた。

 

かつて富岡長子の父親である前述した富岡興永は、息子の富岡茂永に宮司を託して引退している。

 

しかし、富岡茂永が離婚したりなどの女性関係についての怪文書がまかれて、2001年に宮司の座から身を退いた。

 

富岡長子の父親が再度、宮司に就き、その後は富岡長子を代理宮司としたわけだが、その際に富岡八幡宮で神職についていた富岡茂永の息子を解雇したのだ。

 

これを不当解雇として息子は裁判を起こすも、結果的に敗訴したというのだ。

 

おわりに

富岡八幡宮で起きた事件は、女宮司・富岡長子の家族内で起きた内ゲバが招いた最悪の結末を迎えた。

 

既にこの世にはいない父親の富岡興永は、自身が長年、守り続けてきた富岡家と富岡八幡宮がこうなるとは全く予想してはいなかったろう。

 

こうした日本の伝統に沿った美しい世界であると思われる神社界のような中であっても、権力と金が絡めばおぞましい惨状を呈するということなのだろうか?

 

欲にまみれた人間たちが神職につくというのも、何とも滑稽な話ではあるのだが・・・。

 

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