西口彰は昭和事件史に名を残す犯罪者である。

 

【西口彰事件】と呼ばれたこの事件の詳細を、
テレビ番組【爆報!THE フライデー】で放送予定だ。

 

それに先駆けて西口彰の生い立ちと子供、
そして少女が事件を見事に解決に導いたエピソードを紐解いてみよう。

 

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西口彰の生い立ちとは?

西口彰の顔写真画像、まさか少女が事件を阻止するとは・・・

西口彰は大正14年12月14日に大阪府で生まれた。

 

生まれた生家は代々、敬虔なカトリック教徒であり、
西口彰も生まれて間もなく、
しきたり通りに洗礼を受けていたという。

 

父親は漁業に従事しており、
長崎県五島列島の出身であったが、
大阪に出稼ぎに出てきたころ、西口彰が誕生したのだ。

 

西口彰が3歳の頃に故郷の五島列島に帰還したが、
父親は出稼ぎで貯めたお金と親戚や知人から出資を受けて、
サバとアジの漁船を持ち、これで大成功を収めたのだ。

 

一気に西口家は島の有力者となり、
生活に不自由のない豊かな経済状態になった。

 

昭和16年に父親は漁業をたたんで、
旅館経営に乗り出す為に、大分県別府市に移住し、
温泉旅館を購入した。

 

西口彰は小中学校と、子供にしては
破格ともいえるお小遣いをもらっていた。

 

そのお金を同級生にばらまくことで、
ガキ大将となり自由奔放に振舞っていたという。

 

中学校は親の強い薦めで
福岡県福岡市のミッションスクールに入れられた。

 

と、いうのも両親の地元である五島列島には、
天草四郎が生きていた時代から受け継がれている
隠れキリシタンの風習があった。

 

それに影響されていた両親は
子供である西口彰にも押し付けたという形。

 

しかし、西口彰は同級生を金で手なづけるも、
次第にスクールの厳しい規律の生活に耐えられなくなり、
3年生の中頃に退学し家出する。

 

家出した西口彰は詐欺と窃盗を行い、
少年刑務所に入れられ、一気に堕落した人生を送る羽目になる。

 

刑務所から出ても、詐欺を繰り返し、女性関係にもだらしなかった。

 

一見すると好青年にみえる西口彰の口のうまさに、女性は次々と陥落していったという。

 

西口彰には子供がいたのか?

少年刑務所から出て罪を繰り返す
西口彰のその後は後述するとして、
ここで西口彰の子供について触れてみる。

 

西口彰には3人の子供がおり、
20歳の時に刑務所で獄中結婚を福岡県の女性としている。

 

服役後に一緒に住み、
2年後の昭和22年6月に長男を出生したが、
父親という器ではない西口彰は嫁と子供を実家に預けていた。

 

子供たちは詐欺と女と金に狂う
西口彰と一緒に住んだことはなく、
親子の関係は皆無に等しい状態だったそうだ。

 

西口彰はトラック運転手をしたりもしたが、
長続きせずについに、
昭和38年10月18日に日本専売公社の集金人を襲って金を強奪。

 

警察はすぐに犯人を西口彰と突き止めて、全国指名手配。

 

【西口彰事件】と現在も
語り継がれる舞台の幕開けを起こした。

 

少女が西口彰事件を解決した!

西口彰は集金人を襲って金を強奪してからは、
日本各地を股にかけて逃避行を繰り返す。

 

警察の追手をかいくぐる為に、
偽装自殺もする狡猾な方法でまんまと逃走し、
弁護士を装って熊本県玉名市にある
立願寺の住職であり冤罪活動家でも知られていた古川泰龍の元に転がり込む。

 

古川泰龍は冤罪救済支援の活動の際に、
その弁護士を無償で請け負うといった西口彰を歓迎したが、
当時11歳の少女・古川泰龍の子供である古川るりこがそばにいた。

 

娘の古川るり子は初対面で
弁護士を装う西口彰の顔には見覚えがあったのだ。

 

学校の同級生に西口彰と一文字違いがおり、
その名前が強く印象が残っていた。

 

下校中に指名手配書にかかれた
西口彰の名前と顔写真を、そんなことが切欠で、
少女ながらしっかりと記憶していたのだ。

 

自分の活動を助けてくれようとしている弁護士を
古川泰龍はすっかり信じ込んでいたが、
妻も家に転がり込む弁護士を快く思っておらずに、
娘のるり子の言葉を信じた。

 

指名手配書に西口彰の特徴である
顔のアザがあるという情報を確認して、
弁護士を見ると顔にアザがあることを確認したことで、
西口彰であることを確信したのだ。

 

おわりに

西口彰は古川泰龍の子供である少女の機転によって、
逮捕されて二度と出ることのない刑務所に送られた。

 

その後の西口彰は死刑判決を受け、
長い年月をかけて、生い立ちを振り返りながら、
ようやく自分の罪深さを反省し悔い改めた。

 

自分の子供である長男が自分の父が殺人犯だったとしって、
非行に走っていたことを獄中で知り、号泣したというエピソードがある。

 

そして、西口彰はそんな長男に
自分の様になるなという思いをつづった
20枚にも及ぶ手紙を書いたという。

 

長男も更生し、結婚したという知らせを聞いて、
獄中で喜び、1970年12月11日に福岡拘置所で死刑執行。

 

最後の言葉は

『母よりあとに逝けるのが唯一の救いです。』

『遺骨は別府湾に散骨してください。 アーメン。』

と、いい死刑台にのぼったのだという。

 

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