名城信男は元WBA世界スーパーフライ級王者で、引退後は近畿大学ボクシング部のヘッドコーチをしていた。

 

だが、現在はどういうわけか、日本ボクシング連盟から出禁の処分を下されているのだという。

 

かつて田中聖二との激闘によって、死なせてしまったことを殺人と揶揄する人間もいるが・・・。

 

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名城信男について


【名前】 名城信男(なしろのぶお)

【生年月日】 1981年10月12日

【星座】 てんびん座

【年齢】 35歳

【出身地】 奈良県奈良市

【血液型】 A型

【学歴】 近畿大学中退

【所属】 近畿大学ボクシング部ヘッドコーチ

【デビュー】 2003年

 

名城信男は奈良県の名士である父親の元で生まれた。 弟は空手家でK-1にも出場経験もある名城裕司である。

 

元々は不器用な選手であったが、絶え間ない努力によりプロライセンスを取得。

 

2003年に初回KO勝ちを飾る華々しいプロデビュー戦を行い、2004年には噛ませ犬という運営側の思惑で当時の世界ランカーとマッチメイクを組まれる。

 

だが、逆に相手を追い込んで勝利を飾る。

 

プロ5戦目にして名城信男は世界ランカーとなり、続く6戦目には日本スーパーフライ級王者の田中聖二と対戦しTKO勝ち。

(この戦いに関しては、後述する)

2006年にWBA世界スーパーフライ級王者に挑み、TKO勝ちを収めて、プロ8戦目にして世界王者になった。

 

その後、王者陥落するも、再度、返り咲いたものの、再び失脚。

 

2014年4月3日に近畿大学ボクシング部のヘッドコーチに就任したことを発表するとともに、現役引退も同時に発表した。

 

近畿大学ボクシング部のヘッドコーチの話は、当時、総監督を務めていた赤井英和からの打診であったという。

 

名城信男の現在は近大のヘッドコーチだったが・・・

名城信男は現役を引退した後、すぐに近大のヘッドコーチに就任していた。

 

ところが、最新情報によると、名城信男は日本ボクシング連盟によって、アマチュアの試合会場への出入り禁止を受けていたのだという。

山根明・同連盟会長が明らかにした。

山根会長によると、名城ヘッドコーチは昨年10月の岩手国体の試合会場で、連盟登録をしていないにもかかわらず、連盟登録のIDカードを付けた選手・指導者・役員しか入れないアップ場に他人のIDカードを使って入室。

近大の選手のミット打ちの相手などをしていたという。

山根会長は「明確なルール違反で問題のある行為。大学で指導するのは構わないが、日本連盟の試合会場には出入り禁止とし、大学側も了承した」と説明している。

引用:毎日新聞より

近畿大学ボクシング部は名門で多くのプロボクサーを輩出しているのだが、それと同時に不祥事も多いことで知られる。

 

最近でも監督が女性選手にセクハラとパワハラを繰り返したことで、大スキャンダルを呼んだ。

 

名城信男の起こしたことは、確かに規則違反ではあるが、ヘッドコーチの職を失わなかったのは幸いであると言えよう。

 

名城信男は田中聖二と対決して・・・

田中聖二の生前の写真画像

名城信男のボクサーとしての経歴を語る上で、欠かせないのは日本王座戦である。

 

2005年4月3日に行われた日本スーパーフライ級タイトルマッチは名城信男が、王者・田中聖二に挑む形であった。

 

元々は2人は供に合同練習なども行う仲であったが、試合は名城信男のTKO勝ちにおわり、タイトル交代劇となった。

 

しかし、控室に戻った田中聖二は意識を失い、そのまま病院へ直行した。

 

急性硬膜下血腫になっていた田中聖二は意識を取り戻すことなく、12日後に死去したのだ。

 

名城信男がやったことは殺人ではない

名城信男は練習相手でもあり、リスペクトしていた田中聖二を自分の手で葬ってしまったことでショックから立ち直れずにいた。

 

しかし、田中聖二と同じジムの練習生であった徳山昌守の防衛戦を見に行った名城信男は、会場で田中聖二の父親と対面した。

 

その時に父親は

息子のことは気にせず、これからも頑張って

と、声をかけてくれたのだという。

 

それで立ち直った名城信男は、世界チャンピオンの道を駆け抜けていくことになる。

 

そもそも人と人が、それまでの時間と魂をかけて相対する場所においては、それ相応の覚悟を持って対決に望む。

 

その結果、どちらかが亡くなるということは、ボクシングだけではなく、格闘技、プロレスなどではあることである。

 

命をかけた真剣勝負という覚悟があるからこそ、リングに立てるわけだ。

 

つまり、これはお互いに合意の上での話。

 

これを殺人といううがった見方をする輩も少なからずいるのだが、それらの人間は物事の本質を分かっていないといえる。

 

現実、名城信男は田中聖二を葬ってしまったが、裁かれることもないし、むしろ、現在でもその霊前に手を合わせているのだ。

 

おわりに

名城信男の現在はあまり良い噂のない近大ボクシング部のヘッドコーチであったというのは意外であった。

 

元々、中退しているとはいえ母校であるわけで、思い入れが深い場所であるということか。

 

田中聖二との対戦は未だに日本ボクシング史では語り継がれている一戦であるが、あれは殺人ではないと断言できるのだ。

 

男と男がぶつかり合う正真正銘の対決の場において、命を落とすということは、互いにそれだけ全身全霊を込めて戦った証でもあるからだ。

 

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